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0031 テイチク レコード あれこれ編
前項冒頭でテイチクの当時のことを、あれこれ問題提起してしたので
今稿では、違った角度で見ていってみよう。
テイチクで一番有名なのは、石原裕次郎氏です。本サイトとは、ちょいと趣きが違うようなのですが、
この映画は印象的に覚えています。劇場まで観にいったのです。
当時、9歳くらいでしたのでストーリーなどは良く覚えていません。
シーンを鮮明に記憶しているのです。「錆びたナイフ」のほうです。
もちろん、一人で行けるわけでもなく家族と一緒でした。

 

「錆びたナイフ」 昭和33年3月11日 封切り 日活映画
の主題歌がとてもイカシているのです。後年に何とはなしに調べてみると・・

・・・作詞萩原四郎、作曲上原賢六
「砂山の砂を 指で掘ってたら
  真っ赤に錆びた ジャツクナイフが出てきたよ
  どこのどいつがうずめたか 胸にじんとくる小島の秋だ」


・・という内容ですが、このシチュエーションは、まさに小説か映画のワンシーンそのものです。
時代的には、大分革新的な歌詞ではなかったのではないでしょうか。
子供心に、この映像的なイメージが沸いてきたような気がします。
ませたガキでした。映画を見過ぎて担任の先生に怒られたこともありました。
今考えると、何故劇場映画を観ると怒られるのか不可思議ですが、当時は日活や東映の大人ものは
子供に悪影響を及ぼすということで、鑑賞は禁止されていたのです。



・・・多分、こんな左のシーンが御法度だったのでしょうね。・・・そういえば、そうか・・9歳の子供ですものね。

 



レコードでは、これが一番でしょうか?右の八代亜紀さんとのデユエットは同じテイチク同志ということから
の企画ものでしょう。ジャケ写真は、よーく見ると合成ですね。裕ちゃんのほうが格上でジャケ撮影なんか・・
的な時代だったかもしれません。

 

 

八代亜紀さんが登場したので・・なみだ恋・おんな港町などヒット曲がいっぱいありますが、
これが八代さんの筆者の想い出深い曲です。
ちょうど30歳くらいでしたか・・・人生の過渡期or分岐点みたいのにひっかかって断崖絶壁に立っているような状況でした。
長いようで短い人生です。皆さんもご経験がおありでないですか?
筆者は、この歳にしてまだまだ・・・凡夫の如しです。
歌は世につれ、世は歌につれ・・と言いますが、こんな人生の折節に心に沁みわたってくる曲が
数多くあるものです。歌謡曲=演歌も良いもんですねェ・・・。
1980年4月25日発売でした。
♪雨雨ふれふれ もっとふれ わたしのいい人連れこい・・♪でしたネ・・いっぱい飲みたくなりました。



 

これは、ご存じのように故阿久悠氏の作詞、三木たかし作曲ですが、阿久氏がこの歌を創る時は
スランプに陥っていた時期でホテルに閉じこもっていて、
ふと窓越しを見上げたら雨がしとしと降ってきて
この歌のインスピレーションが湧いたという逸話が残っています。
レーベルが違いますが、例の津軽海峡冬景色も同じような状況で、
自ら列車の乗り込んでイメージを膨らませたそうです。
・・・だから、♪ごらん あれが 竜飛岬・・と聴くものに実写場面のように訴えかけてくるのです。

 

 

この曲が出てきました・・三木たかし氏の訃報が報じられていますので、こんなサイトながら
謹んでお悔やみを申し上げたいと思います。
・・・合掌・・・・


 

ご周知のように、三木さんとご遺影をもたれている黛ジュンさんとは実兄妹でした。




・・・この曲もいいですねェ。♪酒はぬるめの燗でいい・・・肴はあぶった烏賊でいい・・・
もう一杯おかわり追加ですね。・・酔ってきました。(・_・;)


 







この後、八代亜紀さんも次々と曲を出すのですが、セールス的にもこの二曲にまさるものは無かったようでした。
レーベルも移籍し現在に至っています。
そいえば、嘉門達夫に「誰も知らない素顔の八代亜紀」と歌われていたエピソードもありました。

レコード会社は違いますが、これも同時期なので、事あるごとに印象的に想い出されます。
『ダンシング・オールナイト』は、もんた&ブラザーズのデビューシングルでした。1980年4月21日発売。
今にして振り返れば「雨の慕情」も、この曲も男女の別れの機微を歌っている内容で、個人的に
そうとうそんな環境にマイッテいたのでしょう。30年も前のお話です。
ダンシング・オールナイトの間奏をコピーしようと頑張ったのですが後半のライト・ハンドめいた部分に
つまずいて諦めたのを恥ずかしながら覚えています。
ポット出の一発屋だと思っていましたが、ソロ歌手として思うようなヒットを出せなかった「もんたよしのり」が、
レコード会社と再起をかけてとの思いで結成したバンドだったようです。
次作の『赤いアンブレラ』も何故か?覚えています。


さて、アイドルでは斉藤慶子さん(現在はアーティストとしての活動を休止)がデビュー時在籍していまいた。
斉藤 慶子(さいとう けいこ、1961年(昭和36年)7月14日- )・・・・・

 


 

若さが溢れんばかりです。このPCも時代を感じさせます。JAL沖縄キャンペーンガールもやってたんですね。

 

あれこれ混ぜてのテイチクあれこれ編・・続きます。

※ここからは、18歳未満の方はご退場ください。




ちょっと休憩TIME・・。2008年に離婚されたそうですが、この時代は今にもましてお綺麗でした。


 







 









 

 



0032 ジェフ・ベック 40年待った実像ライヴ ブルーレイで観た!

これまで邦楽中心に展開してきて、いきなりページが変わって「ジェフ・ベック」の登場なので
ビックリした方も多いと思いますが、日本で言えば・・前項の寺内タケシ氏とか
三根信宏氏・・近いところでは
北島健二氏、カシオペアの野呂一生氏とかの延長だと思っていただければ・・
ただ、洋楽はどうも・・・という方もいらっしゃるのでご興味のある範囲内で閲覧ください。

まず、Blu-ray Discとは・・・

《BD、Blu-ray、ブルーレイ
メディアの種類 光ディスク
記録容量 25GB(1層12cm)
50GB(2層12cm)

音声の場合
リニアPCM
ドルビーTrueHD
DTS-HDマスターオーディオ
ドルビーデジタルプラス
DTS-HDハイレゾリューションオーディオ
ドルビーデジタル
DTS
読み込み速度 36Mbps(標準1.5倍速、最高6倍速)

主な用途 映像、音楽、データ、プレイステーション3用ゲームソフト等
ディスクの直径 12cm、8cm
大きさ 120×120×1.2mm(12cmディスク)

下位規格 DVD



・・・以上のような仕様で、簡単に言えばDVDが6枚ほど納まってしまう容量を持つディスクなのである。
同じ大きさなのに、このスペックは驚異的な数字です。DVDは4.7GBですが、登場した時は
これでもエッ---!としたものですが、映画が1本納まってしまうからです。
それがなんと、25GBあるのですから想像を絶する容量です。
PCに詳しい方であれば、その昔HDDが1Gになったときの驚きと嬉しさみたいなものです。
このスペックで映画を観たら、もうやめられません!
映像・音響等すべてが別世界にいるようです。レンタル店で1泊2日で400円ほどで
借りられますので、そんなに高いものではないと思います。
・・・それでも、こうして楽しめるようになったのは
機械=プレイヤーが手みじかな値段になってきた最近のことです。
東芝との戦いに勝って、子供のプレステVer.3にも搭載されてから一気に普及してきました。

こんな背景で筆者も、やっとこさ導入できたという次第です。
さて、あまりカタイ話だと疲れてきますので本題に・・・・。
モニターは、本当は開発元祖=パイオニアのKUROシリーズが欲しかったのですが
この不況の折から、製造中止になってしまいました。
プラズマの開発会社はパイオニアだったのです。
当初、発売発表会に招かりたりしてましたが、43型で200万位の時期でした。
いわゆる、壁掛けTVを目指すべく画期的な開発が進められていた頃です。
・・しかし、この100年に一度という不況の嵐の中、開発メーカーの威光、そして栄誉にかけて
各社プラズマTVダンピング時期もこらえてきたのですが、とうとう企業そのものの存亡も危うくなって
プラズマから手を引く英断に達しました。一般用向けには作らなく、AVマニア専用にこのKURO(クロと
読ませます。)色の最重要点=黒に技術を再投入して生き残りをかけました。
そういう背景のもと再発売されたのがこのシリーズでした。
それでも、70万という価格・・とても手に入るものではありませんでした。
・・・これも、100年に一度という不況の渦中・・完全撤退を余議なくされました
・・・トホホです。こうしてAV専用プラズマは消えてしまいました。

ただ、その他のメーカーが極端に劣っているというわけではありません。念のため・・。


 


さて、本題のジェフ・ベックのブルーレイです。
音楽DVD類は、ほとんど輸入盤で購入します。単純に値段が安いからです。
ライヴ映像では、字幕は殆ど必要を感じませんので、HMVのサイトだとマルチ・バイで2000円から3000前後で
購入できます。レンタル店では、ほとんど無いタイトルですので、これは仕方がありませんね。
今回の作品は国内DVDより安い!という現象までおきました。
ジェフ・ベックの名前は興味がなくとも知っているのではないでしょうか?
これまで、正式なライヴ映像が無かったということだけでも不思議ですが、今回の
この作品で40年来の希望が叶ったと言うわけです。
これが、観てビックリ!ギターを弾くという感じではなく、縦横無尽、天衣無縫といえば良いのか、
変幻自在に・・鳴らす・奏でる・泣かせる・唸らせる・・という感じで
ドキモを抜かれました。まさに神業とはこの技量のことでしょう。
見てわかったことですが、彼はピックをほとんど使用しません。
素手とボトル・ネックのみで変幻自在に音を紡ぎだしてゆくのです。

ブルーレイの解像度は1920×1080、DVDの解像度は720×480ですが、
実際見てみると、この差異がハッキリと分かります。
映像もそうですが、音質が完璧に違います。奥行きがあって広がりもDVDとは一線を画します。
環境は当然ながら、5.1サラウンドが必須条件です。それでないと折角のキャパを
発揮できません。
それほどスゴいスペックです。



ジェフにして初めての40年目の映像で姿を見せてくれたことが一番衝撃的ですが、
最後の方に、友情出演かエリック・クラプトンが登場しますが「ギターの神様」と呼ばれた彼も
こういったベックの前では、色褪せて見えてしまいました。
あのクラプトンが寂しいくらいです。縦横無尽のベックに、心なしか圧倒され気味で精彩がないのです。
たじろぐような雰囲気さえ伝わってきます。これにもビックリです。

Amazonで商品検索すると、この作品も一緒に買う・・・などと
推奨?組み合わせが出てきてビックリしましたが、映像を観たので納得でした。
推奨?とは、このアルバムでした。



このライヴにベースとして
ジェフ・ベックに抜擢された、弱冠23歳の天才女性ベーシスト・タル・ウィルケンフェルドです。
この彼女が、ジェフと他の面子に負けずとばかりにタイで演奏しているのです。
最初は、なんでこんな可愛い子ちゃんがステージにいるのかな?と思っていたら
なんとベースを唸らせるではありませんか。
こりゃ、驚き桃の木サンショの木でした。
これが彼女の
の初リーダー・アルバムなのです!
>ジャケット写真ではまだあどけない10代の美少女にも見えるオーストラリア(シドニー)生まれの天才ベーシスト、
>タル・ウィルケンフェルド。14歳の時にギターを始め、17歳の時にベース・ギターに転向後、
>弱冠20歳ベース歴3年でこのデビュー・アルバムをレコーディング!
>翌年21歳にしてにしてチック・コリアのオーストラリア・ツアーに、
>その後夏にはジェフ・ベックのツアー・バンド・メンバーに大抜擢されたという
>天才ぶりでも話題の今大注目のベーシストだ。
>このデビュー作に収録の全7曲は全て彼女のオリジナルで、作曲の他にアレンジや
>プロデュースもこなす才能も目を見張るばかり!
>ジェフ・ベックやヴィニー・カリウタ等超一流ミュージシャンに認められている事実通り、
>本作に参加したアーティストもスティーリー・ダンのツアー・ギタリストも務めたウェイン・クランツ、
>スティングやスティーリー・ダンとの活動などでも有名などドラムのキース・カーロック、
>18歳でアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズに参加したピアノのジェフ・キーザーなど豪華なスゴ腕プレイヤーがズラリ!
映像だと、こんな感じです。失礼ながらこんな女の子がギター仙人のジェフと・・・です。



ジェフの代表作といえば、数多くあるでしょうが、やはりこれがイチ押しです。

 



最近、高音質CDと銘打って各社から色々出されています。
一番の特徴は一般のCDプレイヤーで聴けるというこです。SACDやDVD−Aは専用機がないと
聴くことはできません。その隙間を突いたかのように急速に定着してきました。
SHM−CD、HQCD・・そして、このSONYの
ブルーレイの理論を組み入れたブルー・スペックCDです。
ジェフの作品はほとんどブルー・スペックCD化されています。
それでは果たして普通のCDとどこが違うのか?となるのですが、これが一番表現が
難しいのですが・・・低音がしまり、奥行きが深まり、各音が鮮明になる・・・
といった点でしょうか・・・それでは全作品がそう聴こえるか?となると、そうではないような気がします。
この不況の中、CD販売低迷打開の起爆剤になっていることは間違いないようですが
結論は断定的には出せないのが現状でしょう。
ジェフの左の作品=通称“オレンジ”と呼ばれている4枚目のアルバムは、1曲目の出だしの、
今は亡きコージー・パウエルのハイハットのアタックの強い音で始まりますが、
これこそブルー・スペックCDの効果だ!と感じました。
また全編に亘って効果の現われた作品だと言えます。

さて、いきなりの
ブルーレイブルー・スペックCDなどと始まって、本稿らしからぬ展開と
なりましたが、いかがでしたでしょうか?機会があったら是非観て、聴いてみてください。



0033 テイチク レコード あれこれ編 から ブリティッシュ・ビート・グループ まで

以前、GSのカーナビーツの「好きさ好きさ好きさ」を取り上げたことがありました。

  

 

この元歌が、イギリスのビート・バンドの「ゾンビーズ」である・・・という事は述べてきましたが
今稿では、テイチク・レコードと絡ませてすすめていきましょう。
上の本家ゾンビーズのジャケットが2〜3種存在するのは、カービーツがヒットさせたせいで
ご本家が柳の下のドジョウを・・・でもないでしょうが、ジャケにカーナビー・サウンド・・云々と刷り直して発売したからです。
それだけカービーツが売れたという実証にもなるわけですね。
ちなみに、日本のカーナビーツの名前の由来は
ビートルズのインタビューに初めて成功した女性ジャーナリストとして有名な星加ルミ子さんが
命名し 1967年当時、若者文化、ファッションの最先端をいっていた、
ロンドンのカーナビー・ストリートがその由来です。

 

これは、ビートルズのリバプール・サウンドに対抗して命名されたもので
当時のブリティッシュ・ビート・グループに個々を特徴づけるため様々名前がつけられました。
あまり、ここで入り込むと本題が見えなくなってしまうのですが、
いつかは取り上げたい!と思っていたグループにデイヴ・クラーク・ファイヴがいます。以下DC5と表記します。



このグループは本国イギリスより、アメリカで人気のあった。・・・というよりアメリカへ進出していったグループです。
アメリカ・サイドで言うといわゆる「ブリティッシュ・インヴェイジョンの始まりです。
直訳すると、イギリスからの侵略です。被害妄想的表現ですが、まさしく
このとおりで、チャートはイギリスのグループ一色でした。
実際、大手のCDチェーンのオムニバスの棚に目を通すと「ブリティッシュ・インヴェイジョンという名の
アルバムが多く見受けられます。これらのグループの代表曲をまとめたものです。
それらの多くが40年経た今もスタンダードとして生き続けているのは驚異的な事です。
忘れられぬ、キャッチーなメロディラインの曲が多かったからでしょう。
尾藤イサオの♪だーれのせいでもありゃしねえ みんな俺らが悪いのかあ
・・も、元歌はアニマルズのものでした。
悲しき願い〜Don't Let Me Be Misunderstood・・です。
中学生のころ、このMisunderstoodの意味が分からず、英語の先生に訊いたものでした。
尾藤イサオさんにいたっては、この歌=命みたいに、
なんと後年新録で再発までしています。もう、オリジナルを抜き、彼の持ち歌になってしまった感じです。

 

 

右はリバイバルさせたサンタ・エスメラルダです。
1977/12/10発売で7週連続、最高位1位まで達しました。
日本中のディスコで狂ったように踊われた曲でした。

  

さて、DC5ですが、日本では、この曲で大ブレイクした、というより名曲として今も生き続けています。
「ビコーズ」です。
・・・いかがですか?あのメロディが脳裏をかすりませんか?
♪ It's right that I should care about you,
try to make you happy when you're blue.
It's right, it's right
to feel the way I do.
Because, because
I love you.

・・・そうさ そうさ
そう思っても いいじゃないか。
なぜって なぜって
君が好きだから。・・・

今でも、カラオケで調子にのって歌ったりしている、筆者の大フェバリット・ソングです。

 

ドラマーのデイヴ・クラークを中心にロンドン北部のトッテナムで結成され
バンドはサックス、オルガンをフィーチャーしたスタイルで他のバンドとの差別化を図り、
その音はリバプールサウンドに対抗してトッテナム・サウンドとも呼ばれました。
(サックス担当のデニス・ペイトンは2006年12月17日に逝去、
リードボーカル/キーボードのマイク・スミスは2008年2月29日に64歳で亡くなる)。
ただ、デイヴ・クラーク自身がDC5の音楽の販売の権利を所有していてなかなか販売するのを
認めないためにDC5のCDが世間に出回らないという珍?現象がおこりマニアを
泣かせていました。ベスト盤以外には、正式アルバムは発売されていません
ベストにしても、およそ15年前に出た(日本では1枚もの、米では2枚組)くらいで
あとは何も無し!という状況がずっと続いていましたが、それも時間の問題で廃番となり
10数年空白の時代が続きましたが、昨秋、突然新装ベストが発売され話題になりました。
これが、日本での初回盤です。



左は最初の米盤、右は2008年10月に発売された新装盤です。初回は黒のスリット・ケースに入れられていました。
偶然に渋谷のタワレコで発見!ビックリ仰天!情報も全くなかったので
足元が、ガタツクやら額から汗がしたたり落ちるやら・・・もう、泣きましたねェ・・・。
当然、再リマスターも施されて文句なし!残念ながら国内盤は出ていません。

 

 

>1963年11月DC5の3rdシングル「グラッド・オール・オーバー」は
>ビートルズの「抱きしめたい」を蹴落とし全英チャートの1位に輝く
>その成功を受けて他のイギリスのグループもアメリカに進出していく。
>1964年は全米チャートにおいてもビートルズのライバルはストーンズではなくDC5だったのである。
>デイヴ・クラークは自分たちが作った楽曲の著作権は勿論、なんと録音された原盤の権利も押さえることに成功したからである。
>今でもそうだが録音された音源である原盤権はレコード会社が所有するのが普通である。
>デイヴ・クラークがいかにしてこの原盤権を得たかは定かではない。
>しかし彼は原盤をレコード会社にリースしてレコードを販売させると言う展開に出た
レコード時代、ポリドールから輸入盤だったが、ベスト盤を購入したことがある。
>DC5がこれまでに全世界で売ったレコードは5000万枚に達する。
>そのほとんどが1964年〜67年の間にかけてである。
>そして当時、彼等がどれ程の富を得たかは想像に難くない。
>米国内の移動にグループ所有の飛行機を所持していたのである。
>プロペラ機とは言え当時、グループ所有の飛行機でツアーを行っていたのはDC5だけである。
ビートルズですら専用の飛行機は持っておらずフーに至ってはバスで全米を移動していたのである。



>1965年の時点でイギリスで最も巨万の富を築いていたミュージシャンはビートルズではなくDC5のリーダー、
>デイヴ・クラークだったことは推測が容易である。
そして、2008年3月10日、デイヴ・クラーク・ファイヴがロックの殿堂入りを果たした。
マドンナやベンチャーズと一緒にである。


こういった諸事情で、ここ25年くらいオリジナル・アルバムの発売はなく
10年くらい前に、怪しげな輸入盤が登場しました。2社からだったのですが、
やむなく買ってしまいました。もちろん、オリジナル・マスターからの音起こしではなく
レコード盤からのCD化みたいなものでした。どちらも2in1形式でしたが
ファン心理とは愚かなもの?で全部揃えてしまいました。
発売元を見てみると、インド語表記だったりして、いかにも逃げ・・の姿勢が分かりました。
こちら、本物の英のEPです。



大分、いつもの如く脇道に逸れてしまいました。本題です。ゾンビーズの国内での

CD化ですが、その昔・・と言っても10から15年くらいでしょうか・・国内では珍しくテイチクから発売されて
また、まがいものもどきか?・・・と思いながら、音楽雑誌の広告欄を見ていたら
なんと!正規盤ではありませんか。疑心暗鬼ながらも、ブリティッシュ・ビートフリークとしては
触手が伸びてしまいました。結果、ホンモノでした。
まことに失礼ながら、当時はこんなマニア・ライクな隠れ名盤がくだんのテイチク・レコードから
出るなんて晴天の霹靂みたいな事件でした。(テイチクさまには大変失礼ですが)
・・・そうしてこうして年月が流れて・・・
ゾンビーズのCDは現在果たしてどこのメーカーが販売しているのか?と検索してみたら・・・
なんと!やはりテイチクエンタテイメントと社名は変わっていますが、テイチクでした。

 

上がレコード、下がテイチクのCDです。



オデッセイ&オラクル  ザ・ゾンビーズ

CD (2008/1/23)
オリジナル盤発売日: 2007/5/15
レーベル: インペリアルレコード(テイチク内のレーベルのひとつです)

・・・こんなに時間が経ったのに国内の配給先は昔のまんまです。
洋楽の場合、レーベルの権利関係の細かい事情が絡んだりして2〜3年後には
別会社から発売・・なんてことは日常茶飯事です。これらを考えてもムム・・と摩訶不思議な
現象です。とくにこのマニアックなグループが・・なにかの縁でもあるのかな?
・・さて、このザ・ゾンビーズ
ですが、名前のとおり・・あのホラーのゾンビから命名されたものです。
中学生の時は、こんな単語も分からず、ましてや当時オカルトやホラーなんてジャンル自体存在
していませんでしたから、鵜呑みそのままでした。
有名なビートルズはBeat Allを意味するとか・・いや、
英語のBeat+Beetleの造語=かぶと虫からだとか・・(これが定説になっている)

 

 



ローリング・ストーンズに至っては、転がる石の意味だ(なんだ!これはただの直訳ですね・・
それでも中学生の時は意味が分からなかった)とか・・・
本当は黒人ブルースマンのマディ・ウォーターズのマディ・ウォーターズの"Rollin' Stone"にちなんで、
当時リーダーであったブライアン・ジョーンズが命名したものです。

 

 

話を戻して、ゾンビーズですね。脱線気味でスミマセン。

 

日本では、カーナビーツの「好きさ好きさ好きさ」が大ヒットしたため
本国イギリスでも同じだろう・・と考えられがちですが・・・・・
>キーボーディストのロッド・アージェントを中心に、1961年ロンドン郊外のセント・アルバーンズで結成。
>「イブニング・ニュース」紙主催の「ハートビート・コンテスト」で優勝、デッカ・レコードと契約して1964年にデビュー
>1stシングルとして発表された「シーズ・ノット・ゼア」(She's Not There)が大ヒット(全英12位・全米2位)。
>当時のブリティッシュ・インヴェイジョンの波に乗ってアメリカにも上陸し、
>1965年には「テル・ハー・ノー」(Tell Her No)のヒット(全英42位・全米6位)を放った。
>その後はヒットに恵まれず、1967年にCBSレコードに移籍。
>1968年に発表したアルバム「オデッセイ・アンド・オラクル」(Odessey&Oracle)はメロトロンを大幅に導入するなど
>(実際は予算不足でスタジオ・ミュージシャンを起用できなかったのが理由)意欲的な作品であったがヒットせず、
>バンドは解散してしまった。
ここからが肝心なのですが、ところが当時米CBSのプロデューサーであったアル・クーパーの進言により
米でシングルカットされた「ふたりのシーズン」(Time Of The Season)が翌1969年に大ヒット(全米3位)となりました。



結論からいくと、この
ゾンビーズは解散してからのほうが有名になってしまった、という
運命に翻弄されたかのようなバンドなのです。
このふたりのシーズンは、今でも車とかのCMに使用されて、当時を知る購買層に
あれッ?この曲は・・・となって販促効果抜群みたいです。
サウンドもセンス良く、思わずカッコイイです!の一言ですね・・ご存じの方も多いでしょう。
印象的なベースのイントロが必殺フレーズです。
中ほどでご紹介した、オデッセイ&オラクル ですが、時間を経て再認識され今では
彼らの代表傑作として評価が見直されました。
不運といえばそれまでですが、時代というものは時として酷なものです。
こういった作品が、いったいどれくらい存在するでしょうか?
名だたるブツは、ほとんどCD化されていますので、ネタを求めるメーカーさんが
是非、再発掘しリマスターして発売して欲しいものです。当然、紙ジャケでですね。
・・・さて、その後の
ゾンビーズですが、
ボーカリストのコリン・ブランストーンはソロアーティストに、
アージェントは自身の名を冠した新バンド・アージェントを結成し、ブリティッシュ・ロック史に
名を刻みました。どちらも名盤の誉れ高い作品ばかりです。
そこまで行ってしまうと、またまた深い森に入り込みますので今回はこの辺までとします。

カーナビーツが登場したので、同じGSのジャガーズも出てもらいましょう。
この君に会いたいの後追い口笛と、ちょいと半音を混ぜたリード・ギターにマイリました。
同じフィリップスのせいか、カーナビー・サウンド・エージのコピーが見えます。
個人的には第3弾のマドモアゼル・ブルースが好きです。
ミディアムテンポの筒美京平節が全編を通して泣かせます。隠れ?(もったいない)名曲でしょう。


 

 

 

・・・また、訃報が飛びこんできました。三木たかし氏に続いて・・・岡本信さんが逝きました。



>「君に会いたい」「キサナドゥーの伝説」などのヒットで1960年代のGSブームを支えた
>ザ・ジャガーズのボーカル、岡本信(おかもと・しん)さんが、都内の自宅マンションの風呂場で変死していたことが
>19日、分かった。59歳だった。
>この日、横浜市内で岡本さんの還暦パーティーが開かれる予定だったが、
>連絡が取れないことから、知人が自宅を訪れ発見。メンバーの宮ユキオ(65)、
沖津ひさゆき(62)は「あまりにも急すぎる」と絶句した。

 



祭壇のジャガーズのロゴが故人を悼んでいるようです。合掌・・・

しかし、GSの灯は消えることはありません。あの曲、この曲・・歌い継がれていくでしょう。
こんなイベントも盛んに行われているようです。


18歳未満の方はご退場ください。
※ちなみに、画像は今稿のテーマとは何の関係もありませんので・・・。夏が近づいてきましたね。
今回は安めぐみさん((やす めぐみ、1981年12月22日 - )の登場です。・・・


 

 

 



0034 マージービートで唄わせて あれこれ と・・・
 

竹内まりや
Impressions  オリジナル盤発売日: 1996/9/26
10年前のレコード会社移籍後の,初のベスト・アルバム。
「マージー・ビートで唄わせて」を収録。
前項で、60年代ブリティッシュ・ビートに深くのめり込む寸前までいきましたので
寄り道?ついでに、この歌を口ずさみながら、リヴァプール・サウンド、マージービートに
日本のアーティストも織り交ぜながら進めていきたいと思います。



詞はビートルズのことを書いていますが、曲はビートルズより後のマージー・ビート調です。
発売日 : 1984/08/25
価格 : \700(税込)
規格番号 : MOON-716


竹内まりや「マージー・ビートで唄わせて」

衿なしのスーツで キメてたあの頃
毎晩女の子から キッスの贈り物
輝いてた リヴァプール

あなたがくれたのは ただの夢じゃなくて
世界中を巻き込むほどの とびきりのセンセーション
あなたが話してる 言葉もわからずに
ひたすら追いかけた少女が
ここにいる私なの

グラビアをめくるたびに その笑顔に会えたのに
胸の中でだけ 時が止まってる
細目のブーツで 刻んだリズムは
今なお少年達をしびれさせるマージービート
輝いてた リヴァプール

64年のレコード棚にある 心震わせたあのメロディ
耳もとで鳴り出す
あなたが消えてから 淋しくなったけど
いつのまにか大人になって 涙さえ乾いてた
グラビアをめくるたび その笑顔に会えたのに
胸の中でだけ 時が止まってる

衿なしスーツで キメてたあの頃
毎晩女の子から キッスの贈り物
輝いてた リヴァプール
輝いてた リヴァプール
唄わせてよ マージービート

・・・・この歌詞の、
あなたがくれたのはのあなたは二人称ですが、もちろん彼ら=ビートルズです。

 

竹内まりやさんも、山達氏も・・ついでながら筆者も同世代ですので
この歌詞のニュアンスが微入り際に亘るほど、気持ちが分かるというか共感してしまいます。
それほど、ビートルズは音楽面でも社会面でも画期的なロック・グループでした。
こんなことは、もう耳タコでしょうから果たして
それではマージー・ビートというのは何なのだ?
・・・というバカボンのパパ的素朴な問題から。
>英米ではビートルズを含むこれらリヴァプール出身のバンドを指してマージー川に由来するマージービートという名称で呼ぶ
>ロンドンやマンチェスターなど他地域のバンドも含めた場合はブリティッシュビートという総称で呼ぶのが一般的である。
>「アメリカでヒットを飛ばしたイギリスのバンド」に対する日本独自の呼称であり、
>それらのバンドがロンドン出身だろうがマンチェスター出身だろうが関係なくひとまとめにされていた。
ということで、簡単に表現すると・・・
マージー・ビートというのはビートルズ以降60年代前半に輩出した英国のロック・サウンドで、いわゆるリバプール・サウンド
という事になります。それではリバプールとはイギリスのどの辺か?となると・・・



ちょうど、中央の位置にあります。見えましたか?
首都ロンドンではなく、何故この地にロック=音楽が発生(はっしょう)・発展したか?この点も中学生から高校生に
かけて大きな疑問点でしたが、時代が進み研究といえば大袈裟ですが簡単に解けてしまうのです。

>英国の港町のリヴァプールには、海外から多くの労働者が訪れたので多様な音楽を演奏するパブやレコード店が存在していた。
>そのような環境で、米国の大衆音楽ロックンロール、R&B、ブルースに熱中する若者が生まれた。
米国での受け取られ方と違い、彼らは人種による音楽の違いや、
>一時的な流行とは関係なく彼らにとっての「本物」の音楽を探し求めた。
>情報源はもっぱら米軍放送や海賊放送であり、船乗り達が買ってくるレコードであった。
>当時、大衆音楽の配給元はほぼ全てが米国だった。そのような状況下で、
>音楽的僻地・イギリスの白人の若者達であるビートルズが黒人音楽に強く影響されたビート音楽を生み出し
>大ヒットを記録したのである。まさに前代未聞の出来事であった。
>それはファッション・ルックスだけでなく、エレクトリックギターを中心にしたソリッドな演奏に巧みな
>コーラスワークを加えたバンドスタイル
>メンバー自らが作詞作曲を手がける独自の音楽性が真に衝撃的だったからだ。
>しかしこれはあくまでも「アメリカでヒットを飛ばしたイギリスのバンド」に対する日本独自の呼称であり、
>それらのバンドがロンドン出身だろうがマンチェスター出身だろうが関係なくひとまとめにされていた。
マージー河というのは、イギリスのリバプールサウンドの別名 MERSEY BEAT が生まれた地域に流れている河の名前です。

 

しかし、歴史の産み落とした影の部分も存在します。
>植民地との貿易が盛んになった18世紀当時のイギリスは、
>ヨーロッパからアフリカへ日用品や火器を、新大陸からヨーロッパへ砂糖などを持ち込む大西洋三角貿易において、
>ほぼ独占的な地位を築いていた。
>リヴァプールは、この北アメリカ、西アフリカをむすぶ三角貿易の拠点として中心的な役割を果たし
>おもに奴隷貿易で急速に発展したという負の歴史も存在する。

・・・こういった観点から鑑みると、ビートルズの音楽的歴史的背景もうなづけるというわけです。
そして
マージー・ビートの概念も判明したのではないでしょうか。
決定的or代表的な曲といえばこれです!
ジェリー&ザ・ペースメイカーズの、その名も「マージー河のフェリーボート」です。スバリ、名曲です。
左はレコード、右は目出度くCD化になったものです。

 

ロッカ・バラードとでも言うのでしょうか、ビート系のサウンドでなく哀愁を帯びたじっくりと聴かせる、
これぞイギリス人でしか歌えないような翳りが漂い、泣きの永遠の名曲です。
ブライアン・エプスタインがビートルズに続いてマネージメント契約を結んだのが、このグループです。
スキッフル・グループを前身に結成され、リヴァプールのローカル・シーンではビートルズと人気を二分したといいます。
そして63年、これまたビートルズでお馴染みのジョージ・マーティン・プロデュースのもと
「How Do You Do It?」でデビューを果たし、以降3曲連続ヒット・チャートのNo.1を獲得するという快挙を成し遂げました。
彼らの音楽性は典型的なマージー・ビートですが、当時としては斬新だったストリングスを導入した
バラード「You'll Never Walk Alone」(64年)を発表するなど、新たな地平を拓きました。
裏話として、ビートルズのデビュー曲になる予定だったのが「How Do You Do It」です。
それを気に入らず蹴ったのは、さすがビートルズたる所以でしょうか。
ジェリー&ザ・ペースメイカーズがヒットさせたのですから、決して駄曲ということはありませんが、
これをジョン・ポールで歌ったのかと想像すると、気持ちチョイと軽い曲調かな・・と思います。
それでも、Love Me Doよりは、明るい気がします。
そんな経緯があるからこそ、あの緩急自在のPlease Please Meが生まれたのでしょうか。
蛇足ながら「How Do You Do It?」には「恋のテクニック」という邦題がつきました。

 


こういった音楽界事情を反映してか、このような地名を冠した曲も多数生まれました。
左の曲は、スマッシュ・ヒットを記録しました。日本人好みのメロディ・ラインでした。

 

それではマージー・ビート
の連中を見ていきましょう。
当時、リヴァプール周辺には、セミプロも含め300以上のグループが活動していたらしいですが、
ビートルズがEMIからデビューしてヒット曲を連発した64年頃になると、
その数は1000を越していたというから、もの凄いブームだったことがわかります




当時はこのように星の数ほど存在したのですが、デビュー出来たバンド、その後、生き残れたバンドは意外と少ないものです。
その中から、ジェリー&ザ・ペイスメイカーズ、ビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタスが、
それぞれビートルズが提供した曲デビューでデビューします。

どれもビートルズを世に送り出したブライアン・エプスタインがマネージメントしていたグループでした。

これ以降、同じリヴァプールからは、サーチャーズやスウィンギング・ブルージーンズ、マージービーツ、
フォーモスト、リンゴ・スターがいたロリ・ストーム&ザ・ハリケーンズなどが次々とデビュー。

リヴァプールからマージー河を遡った上流にあるマンチェスターには、
ホリーズやフレディ&ザ・ドリーマーズ、ハーマンズ・ハーミッツ、
ウェイン・フォンタナ&ザ・マインドベンダーズ(10c.c.の前身)
がいましたし、
都会のロンドンになると、よりブルース/R&Bの影響が強い、ローリング・ストーンズ、
ヤードバーズ、プリティ・シンングス、キンクス、マンフレッド・マン、ジョージー・フェイム、ゾンビーズ、

そして日本でも爆発的に売れた前項で取り上げたデイヴ・クラーク・ファイブなどが活躍していました。
他にも、ニューキャスルのアニマルズ、バーミンガムのスペンサー・デイヴィス・グループはフェバリット・グループです。

近年、この時期の研究が盛んになり、埋もれたグループor作品が発掘されてきてカタログ化が
進んできています。アンテナを張っていないと、つい・・てなことも良くあります。
また、これを契機にして、70年代ブリティッシュ・ロックへと発展していくバンドも多くいました。
換言すれば、このマージー・ビートを礎にして、後年のブリティッシュ・ロックの黄金時代が
築かれていったと言っていいでしょう。それほど質の良いバンドが多く存在していたということです。
ここには登場しませんが、D・パープルとまだ名乗らないR・ブラックモアとか、スタジオ・ミュージシャンとして
腕を磨いていたJ・ページが水面下で活躍しようとする時期でもありました。

 

マンフレッド・マンは70年にかけても進化を続けて、マンフレッド・マン・チャプターV、そして
マンフレッド・マンズ・アースバンドとして活躍します。
70年代ブリティッシュ・ロックの至宝ともマニア間で評価されていますが、かくいう筆者も
大ファンで、プログレともハード・ロックともつかぬ独特の音世界に心酔してしまい、これがまさに絶品なのです。
アナログ・レコード(国別)、CD、輸入盤紙ジャケ、当然日本紙ジャケなどすべて網羅していまいました。
ついこの間も英EMIから出た編集4枚組も購入し、大変楽しく至福の時間を過ごさせていただきました。
惚れたバンドのNEWリリースものは、つい手が出てしまいます。
こうなると、レコCD性(さが)とでも揶揄されそうです。トホホ・・です。右のシングルは珍品です。


 

再び、
マージー・ビートです。

 

日本で特大ヒットしたバス・ストップですが、作者はのちの10CCの
グレアム・グールドマンです。他にもヤードバーズのフォー・ユア・ラヴとかハートせつなくとか
ヒット・メーカーとして活躍していました。
このホリーズからグラハム・ナッシュが脱退(写真左)して渡米・・・あのスーパー・グループが誕生します。
CSN&Nです。これも名盤中の
名盤です。



 

近年、再結成しまだまだ頑張っておられるようです。



いったり来たりですみません。
再び、マージー・ビートです。

 

Listen・・とあるのは、
ビートルズの右のドゥ・ユー・・・の歌い始めの一節から引用です。
この曲をビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタスに提供し、彼らのほうが本国で大ヒットしました。
ビートルズのほうは珍しくジョージがヴォーカルをとっていて以後の「素敵なダンス」ともども
当時、擦り切れるほどレコードを聴いていました。シングル乱発天国の日本だけのカットかも。

 

愛なき世界は、ビートルズ=ポールの作品で、日本でも大ヒットしましたね。
アイ・・は、故デル・シャノンの作品です。どちらのアレンジも秀逸で◎です。

 

右のウーマンという曲は、ポールがビートルズ以外での作曲家としての自分の位置、実力を
試すために変名=バーナード・ウエッブ?を使って彼らに提供したものです。
結果、心配無用のスマッシュ・ヒットを記録しポールを安心させました。
また、当時ピーターの実妹の女優ジェーン・アッシャーと恋仲であったことも有名です。

   
・・・が、しかし・・・有名人になると、なにかと役得?があるようです・・・
ジェーンとポールは1967年に婚約したが、ある時、家に帰ったジェーンはポールがアメリカのスクリプトライター、
>フランシー シュワルツと一緒にベッドにいるのを見つけた。
>二人は関係修復を試みたが、婚約後8ヶ月で彼女の方から解消した
>ポールはほどなく、婚約前から、知っていたリンダ イーストマンと連絡を取り始めた。
一方、ピーターとゴードンのピーターの方は、コンビ解散後アメリカに渡り
プロデューサーとして大活躍し、70年代を突き抜けていきます。
リンダ・ロンシュタットジェームス・テイラーシェール等々数え切れないほどのアルバムを残しています。
そのプロデュースの質感は、ソフトでしなやかで各音のバランスが綺麗なものが多く
当時輸入盤で新譜が出ると、クレジットに彼の名前があると未知のアーティストでも
即買い!というような感じでした。

 


さて、再び、マージー・ビートを続けましょう。

 

 

  

やはり、締めくくりはこのBIG2でしょう。

 

 


さて、それではこのマージー・ビートと日本の歌謡曲=JPOPとの関連は?
突然ここで登場するのです。

 

そうです!あの野村のヨッチャン率いるザ・グッバイです。1983年9月まで飛んできました。
解散後、20年以上も経って再評価の波が押し寄せ、彼らの音楽性が見直されてきました。
それにしても、右のジャケはモロビートルズのパロディですね。

 

色合いといい、タイトル・ロゴといい、ここまで徹底すると、ホンモノ?ぽく見えてきます。お見事です。
この「SHOUT!!」(リマスター版)には次のような曲が収録されています。
そして、14.マージービートで抱きしめたいなのです。
( )内はオリジナルのアーティスト。
01.ALL DAY AND ALL OF THE NIGHT (キンクス)
02.DO YOU LOVE ME (ブライアン・ブール&トレメローズ)
03.HOW DO YOU DO IT? (ジェリー&ペイスメイカーズ)
04.GROWING UP DAYS '87
05.マージービートで抱きしめたい
06.FOR YOUR LOVE (ヤードバーズ)
07.DON'T EVER CHANGE (クリケッツ)
08.SHOUT (アイズレー・ブラザーズ)

09."ENDING THEME" SAYONARA
<bonus track>
10.THEME OF SHOUT
11.〜ALL DAY AND ALL OF THE NIGHT '90
12.THE LOCO-MOTION
13.悲しきRadio Girl
14.マージービートで抱きしめたい


いかがですか?どれだけ
( )内のオリジナルのアーティストご存じですか。
単なるものまねではなく、60年代の
マージー・ビートをリスペクトしたうえで、
彼らなりエッセンスを吸収してアレンジ、ザ・グッバイのサウンドになっているのがミソです。
>THE GOOD-BYE(ザ・グッバイ)は、ANKHにつづくジャニーズ事務所の本格ロックバンドを志向したユニットの名前。
>メンバーは、野村義男、曾我泰久、加賀八郎、衛藤浩一。
>1983年9月1日シングル「気まぐれ One Way Boy」でデビュー、
1991年4月1日に活動休止。
>しかし、2003年にZepp Tokyoで「再会」ライブを行い、2004年に新ベストアルバムとオリジナルアルバムのリィシュー、
>さらに東名阪でのライブツアーを行なった。2007年7月にはSHIBUYA-AXなど5ヶ所でのライブツアーが行われた。
>2008年9月1日デビュー25周年を迎える。
>10月12日東京・渋谷C.C. Lemonホールにて、バンド結成25周年を記念してのスペシャルコンサートが行われた。

左のジャケは、今度はビーチ・ボーイズのパロディです。

 

 



マージー・ビート誕生から20年経って、日本流マージー・サウンドが構築された感じです。
そしてまた、25年の月日が流れて復活したわけです。累計45年の歳月です。
ベスト盤をひととおり聴いてみましたが、音像がちょいとモヤッとしているかな・・
という印象で、もう少しメリハリをきかせて、各パートの音録りを鮮明にしていたなら・・。
当然、プロデューサーの意向もあったでしょうが、
マージー・ビートにこだわるのなら、あの抑揚感を
もう少し強くと、筆者=オヤジは残念でなりませんでした。
この他にも数枚のアルバムを残していますが、基本姿勢は変わりありません。

続いて、またいきなり登場するのが、
PUFFY(パフィー)です。

 

もちろん、あの大ヒットのアジアの純真 (作詞:井上陽水、作曲・編曲:奥田民生)です。
1996年5月発売。
仕掛け人は下の写真のお二人です。

 

♪1996年5月13日 アジアの純真
北京 ベルリン ダブリン リベリア
 束になって 輪になって
 イラン アフガン 聴かせて バラライカ
 (北京 ベルリン ダブリン リベリア
  イラン アフガン 聴かせて バラライカ)

 美人 アリラン ガムラン ラザニア
 マウスだって キーになって
 気分 イレブン アクセス 試そうか
 (美人 アリラン ガムラン ラザニア
  気分 イレブン アクセス)

 開けドア 今はもう 流れでたら アジア

 白のパンダを どれでも 全部 並べて
 ピュアなハートが 夜空で 弾け飛びそうに
 輝いている 火花のように・・・・♪


・・・すぐ、歌い出せそうですなキャッチーな曲と詞です。
>PUFFY(パフィー)は、大貫亜美、吉村由美の2人から成る日本の女性歌手コンビである。
>「パフィー声」 と称される、ふたりの声が渾然一体となった独特のユニゾン唱法を用いるのが特徴で、
>CD上でのハーモニーは、実際にはその多くで2人がユニゾンで歌うハーモニー・パートを多重録音しており、
>2人がそれぞれ違うパートを歌うデュオとは異なる。
>当初は奥田民生プロデュースによる一曲限りのユニットの予定であった。
>ソニー・ミュージックアーティスツ,Ki/oon Records所属。
>2002年からは北米ツアーを行い、アメリカ合衆国やカナダにおいては"Puffy AmiYumi"(パフィー・アミユミ)名義で活動している


 

何故このふた組が登場したか?というと・・・
ビートルズ
DNA というものが音楽界、ロック界に存在するからです。

その意味は、ビートルズの影響を受けていて、その音楽性もきわめて似ていて
楽曲の要所要所にその片鱗がうかがえるというアーティスト達のことです。
なんだ、それではビートルズものまねではないのか?と疑問をもたれますが、その点が
ちょいと違っていて、あくまでもビートルズ・テイストを踏まえつつ自分たちの音楽を目指すという意味です。
ときには、もろパロディ精神旺盛な楽曲やグループもいて、それはそれで面白いものです。

マージー・ビートから、ビートルズまでを抱合して、このふた組を総括すると
やはりDNA=遺伝子を間違いなく受け継いでいるという事になります。
ここまで飛ぶ前に、もうひとつ、このバンドを忘れるわけにはいきません。
エレクトリック・ライト・オーケストラ (Electric Light Orchestra) です。以下ELOと表記。
彼ら、いやリーダーの(ジェフ・リン)
こそ、ビートルズ DNA を正統に継承した人物です。
左「ディスカヴァリー」(1979年) 右「アウト オブ ザ ブルー」(1977年)

 

 

身近なところでは、この
オリビア・ニュートン=ジョン主演の映画ザナドゥが有名です。サントラ担当はELOでした。

 

 

>エレクトリック・ライト・オーケストラ (Electric Light Orchestra) は、イギリスのバーミンガム出身のロックバンド。
>ザ・ムーブからの発展という形で1970年に活動を開始、1971年にレコードデビュー
>1970年代から1980年代にかけて世界的な人気を博した。
>1970年代のアメリカで最も多くの(ビルボード40位以内の)ヒット曲を持つバンドであり、
「ビートルズよりもビートルズらしい曲を持ったバンド」とも言われた。
>略称ELO(イー・エル・オー)。「ロックとクラシックの融合」を目ざし、全盛期には
>「世界、最小で最高のオーケストラ」と言う称号を得た。
ジェフ・リン
こそ、ポール・マッカートニーにも匹敵する、ポピュラー音楽界最高のメロディ・メーカーのひとりではないでしょうか。
聴いたことのある人は、今さら・・でしょうが、とにかく音の万華鏡です。
各アルバム捨て曲は一切なし!めくるめく音の洪水、溢れるメロディ・ライン、
ちょっと前だと、日本ではTVドラマの「電車男」のテーマ・ソングに「トワイライト」が使用され話題になりました。

・・・ふたたび、
ザ・グッバイ
PUFFY(パフィー)に戻ります。
前者は前述のテイストをおなかいっぱいに吸収して見事、自分たちの音楽を構築。
後者は、お二人の個性をベースに「アジアの純真」ではサウンドのあちこちに
ビートルズの曲のイントロやら、オーケストレーションではELOのめくるめく音の洪水で溢れたり、
パロディとも断言出来ぬほどの
パフィーサウンドを創りあげました。
奥田民生氏の功績によるところも大ですし、サウンド創りのセンスも抜群です。
これらを、統合すると、やはりビートルズDNA=遺伝子が確実に伝わっていると思うのです。 

イギリスから日本までの長い旅でしたが、この稿まだ続きます。

ここからは、18歳未満の方は、ご退場ください。

梅雨も来たようです。長旅の疲れをおとり下さい。 優木 まおみ さんです。(ゆうき まおみ、1980年3月2日 - )

 

 

 








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