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0001 ヴィーナス LOVE POTION NO.1 国内 徳間音楽工業 BMD-1012 ほか 1980

これは、いいグループでした。オールディズをロックン・ロールで・・がとても斬新でした。
ヴォーカルのコニーも(コニー・フランシスからでしょう)とても、キュートでサウンドも決まっていました。
おじさん族には、タイトルの LOVE POTION NO.1 が決めて手で、オヤッ?ブリティシュ・ビートバンドの
サーチャーズのNO.9(邦題:恋の特効薬・・お見事の翻訳です)のパクリでは・・
と引いておいて、実は本家も真っ青のアレンジでした。
実際のジャケ裏のクレジットも、お遊びいっぱいでキーボードが、ニック?・ホプキンスなどと、ギターに至っては
ジミー?・ブラウンと笑ってしまいます。どっこい、中身はホンモノ!楽しいアルバムでした。
レコードエサ箱漁りの旅の途中、右端のミニLPを見つけ、初見でしたので即買いでした。
盤面はなんと、パイナップル色のレコードでした。写真撮ればよかったナァ・・残念・・。
アレンジには、ブルコメの亡き井上大輔(忠夫)氏のクレジットも見えます。
「ランナ・ウェイ」とか「め組のひと」なんかの前哨戦だったのでしょうか。
数枚残して、残念ながら消えていってしまいました。時代が合わなかったのでしょうか?
来たるべき、80年代のアイドル百花繚乱時代に巻き込まれてしまい、居場所が無くなってしまったのでしょうか?
それにしても、惜しいグループでした。そのあと業界の風雲児となる長門大幸氏が虎視眈眈と狙っていました。
Be-ingサウンド全開フルスロットル、この路線の活性化を待っていたかのようなタイミングでした。
毛色?がちょこっと違いますが、MIKEでしたっけ、「想い出の九十九里浜」面白かったですね。
そういえば、ハンダースの「想い出の渚」も、聴きたくなってきました。
そして、音楽の消耗品化が加速度をつけて、90年代に向かっていきます。
ヴォーカルのコニーさんは、そのあとドサ廻りなどをしていた・・との風聞を聞きました。



0002 よしだたくろう エレック時代と元気です
たくろうが番外編なんて、どうもすみません。本稿は邦楽を中心に進めていくコーナーです。
コレクター的には、写真のエレック時代のアルバムが一番、入手しづらいアイテムとなっているはずです。
それも帯付きになると、なかなか出会わないものです。
版権の問題で、表紙をなぞったようなLPも見たことがあります。
たくろうの一番魅力的な時代として、このエレック盤をあげる人が多いのは、未完成の順朴さからくるのではないでしょうか。
「人間なんて」を中津川フォーク・ジャンボリーの川べりで延々とぶっ続け歌った逸話はもう伝説化しています。
岡本おさみとの邂逅も、一つの転機になったと言えるでしょう。両者のタッグマッチでこれから次々と名作が誕生していきます。
当時、洋楽中心だったので、リアルタイムでは、元気です・・が最初のめぐり会いでした。
B・ディランの嵐が吹きすさいで、カルチャー・ショック的に多くのミュージシャンが影響を受け、神とも仰ぎ奉られました。
日本フォーク界は、小節と歌詞が合わぬ、はみ出し字余りの曲が溢れかえり、模倣も自作というような風潮でした。
良し悪しは別にして、早くから脱却して自らの世界を築きあげてのは、よしだたくろうでしょう。
個人的には、やはり「落陽」が一番好きです。「襟裳岬」もいいですねェ。
ロック的観点では、70年後期「王様たちのハイキング」ツアーが最高だったと思っています。
よく、レーザー・ディスク(もう、死語かな?)を観たものでした。DVDで又、見直したい作品です。DVD化されたかな?

0003 柳ジョージ&レイニーウッド 1st−3rd  1977-1979

weep' in the rain・・・
これも流行りましたね。日本語と英語の2バージョンが出たりして、どちらも覚えてしまったり・・・。
彼はGS後期のゴールデン・カップスに在籍していたことは、あまりにも末期だったので覚えてる方は少ないようです。
以来、苦労を重ねようやく陽の目を見たのがこの作品でした。その前はドサ廻りとかで口糊をしのいでいた時期もあったようです。
それはこのあと80年頃に出版される「敗者復活戦」という著書に詳しく書かれています。
当然、廃版となっていて今となっては読むすべもありませんが・・・。
これは出版社の当時の企画の一端で、彼の前があの矢沢栄吉の「成り上がり」だったのです。
ご存じのように、この作品をもとに現在、映画化が進められているようです。
SONYのブルーレイのCMに出たり、一時は少し落ち気味だった彼が再浮上してきたようです。
何もマスコミに売れれば良いというものではありませんが、そういった面では実力等とかと関係なく人の運命とか
生き方とかは誰にも分からないものかもしれません。
ただ時間のみ結果を示してくれるようです。
柳氏は徳間というレーベルから、メジャーの当時のパイオニアに移籍し、ほどなくこのバンドを解散させます。
ソロになって、彼の本来の目的であったアメリカのアトランティック・レーベルから(日本の配給ですが)念願の作品を発表します。
1stのジャケットにはその思いが溢れんばかりにアトランティック・レーベルのロゴがアップされています。
R&B志向のアーティストの究極の願いはアトランティックかスタックスからレコードを出すことなのでしょう。
そういえば、彼は故レイ・チャールスの大ファンだったようです。
数作リリースして「アトランティック・ワイアー」という作品を出したころから、その縛りに耐えかねたのでしょうか?
日本のE・クラプトンと異名をとる彼ですが、エイちゃんとは生き方を別にして頑張っているようです。
その後、アトランティック・レーベルから移籍してしまいました。

話を戻して
柳ジョージ&レイニーウッドというのはジャズの名曲の
Willow Weep For Me - 柳よ泣いておくれ
・・から命名されたのではと、ずいぶんあとから思ったのですが
ヒット曲=雨に泣いている・・もこれに符号しませんか。バンド名もしかりです。雨の森ですものね。
当時はなんとも思わず、ましてジャズの知識など無く考えもしませんでしたが30年も経ち
あれッ・・と思いついたという後日談で終わらせていただきます。
ご参考までに、件の曲のあれこれを付記しておきます。

Willow Weep For Me - 柳よ泣いておくれ

もっとも成功を収めた女性作曲・作詞家の一人
アン・ロネル(1906or8〜1993)が
彼女の音楽キャリアに大きな影響を及ぼした
ジョージ・ガーシュインに捧げた曲


Willow Weep For Me - 柳よ泣いておくれ

柳よ泣いておくれ、 私のために泣いておくれ
海に続く小川に沿って
その緑の枝を垂れて
私の願いを聞いておくれ
柳よ聞いておくれ そして 私のために泣いておくれ

0004 竹内まりや レコードベスト  1984





ピクチャーレコードが全盛期だったのは1979年から1985年のころでしょうか。
アイドル初回盤!などのキャッチで、本当に色々なヴィニール盤が登場して、それまで
レコードは黒という概念を取り払ってくれました。
集めるのも、これまた楽しい・・そんな時代でもありました。
レコードは黒でなければ・・という固定観念は開発当初は無かったそうです。
ただ塩化ヴァイナルであれば良し!と、そして落ち着きさ等から単純に黒とされたようです。
これはピンクのまりやさんのベスト盤です。綺麗ですね。
そして裏ジャケの写真も実に初々しいこと・・・「セプテンバー」は男ながら楽曲の良さで
口ずさんでいました。彼女も達郎氏と結婚し時があっという間に過ぎ去り
今年、齢50歳ということです。
これを記念にベストCDも10/1に発売されました。



キャッチコピーがいいですねェ。
ユニバーサル・ストリートの面影もちょっと残っているかな・・・解説分のブックレットの中の達郎氏が帽子をかぶり
庭園で何故かうつむいてギターを抱え、前にまりやさんがいるショット写真がとても印象的でした。
0005 山下達郎 FROM NIAGARA  1983




奥様が登場しましたので、今度は旦那さまの登場です。
達郎氏とくれば、大瀧詠一氏と連想されるように「ナイアガラ」=大滝・・というココロです。
筆者はそんなに「ナイアガラ」ファンで、コレクターというわけでもないのですが
この世界のコレクターは鉄壁の城塞みたいにいらしゃるんですねェ。
ビートルズマニアにも匹敵するくらい、飽くなき追求するアイテムがあるからです。
フィル・スペクターから始まって、最近(といってもかなり前ですが)ではキムタクのTVドラマの主題歌まで。
話はそれますが、先日のTVドラマ堺正章主演の「無理な恋愛」のテーマソング「忘れもの」は
あのメロディラインから、タイトルバックにはGajinとでますが、てっきり大瀧氏の変名かと思ってました。
Aメロ、Bメロからサビ、そしてコード進行、半音落ちなどから、絶対そうに違いないと断じていました。
ところが調べてみると、中村雅人という方の芸名=名前の部分をGajinと読ませるみたいです・・の作品でした。
あれほど、イイトコドリみたいなのは、ビートルズとクラトゥの関係みたいです。
意外と敏感な聴覚と思っていたのですが、これにはまいりました。
さて、「ナイアガラ」ですが、複雑にしている原因はレーベルの移籍が複雑で、といっても日本コロムビアと
CBSソニーだと思いますが在籍期間が短かったり、同じアルバムでも45回転ものを出したり
大瀧氏の遊びこころ?によるところが大きいと思います。
また、変名嗜好で多羅尾伴内とか笛吹銅次とかでクレジットされるバージョンも込み入っているから
と判断されます。上のアルバムもエンジニアとして笛吹銅次氏がクレジットされています。
また、歌謡曲の世界にも挑戦?して、森進一の「冬のリビェラ」、松田聖子の「風立ちぬ」、極め付けは
小林旭の「熱き心に」でしょうか。まだまだ金沢明子とか深ーい奥底が待ってます。
ナイアガラ時代の達郎氏のベスト選曲のアルバムですが、ふだんエサ箱でもあまりお目にかからないので
掲載してみました。ナイアガラのロゴが光りますね。
写真はオモテとウラです。
0006 シュガー シュガー・ドリーム  フォーライフ  1980





なにやら80年前後のアーティストが続きますが、今しばらくご容赦を。
この女の子(?女性)もブームでしたね。
「ウェデング・ベル」のイントロからして、当時は画期的なパターンでしたものね。
今流にいえば、バラドル(これも死語かな?)とコメンテーターを足して、二で割ったような個性の三人組でした。
デビュー曲があまりにも、強烈すぎてその後の彼女らの活動を規制してしまったような感じです。
TVのバラエティ番組でも大活躍してました。
たしか、音楽活動を休止したあと、TVのコメンテーターもどきをやられた方もいた記憶が・・・。
そして、おひとりが不幸にも旅立たれたんでした。
デビュー曲の終わりの一節が、あまりにも予期していたかのようなフレーズでした。
それにしても個性的なお三人でした。

0007 ゆう子・菲菲・チヨ・ハーフ  東芝  197?


これは、音楽編の最初の頃にご紹介した、東芝さん(と、言っても今は音楽界では、もう存在しませんね)の
オハコ企画LPの後半戦のものです

自社の歌手をピック・アップしての、いいとこ=曲取りのオムニバス盤です。
チヨさんも、すっかり大人のイメージで、恋の奴隷シリーズから脱却した頃でしょうか。
それとも、それ以前の路線が定まらぬ頃の時代でしょうか。
ゴールデン・ハーフが珍しいので、取り上げてみました。
収録曲は次の通りです。



なんか、曲を眺めているとゴールデン・ハーフ以外は、あまり馴染みが無く、皆さんどれだけ覚えていますか?
どうも、ゴールデン・ハーフのノテッケ・・・を売らんがための企画みたいです。
ま、こんなレコードもリリ−スされていたという程度で、時代を感じてくだされば・・・。
0008 ラッツ&スター  ソウル・バケーション エピックソニー  1983




なんとも豪華なアルバムです。
プロデュースが、あの大瀧詠一氏で、アルバム・ジャケットデザインがアンディ・ウォーホールなのです。
タイトルは、大瀧氏のロング・バケーションのモジリでしょうか。
この頃は、CD登場(1982年)と相俟って、アナログレコード文化も最高潮の時代ではなかったでしょうか?
一般には、まだCD派とレコード派が分かれていたりして・・。
GS(ガソリン・スタンドの意です)勤務の若者が、一気に時代に呼応して一躍スターダムに・・・。
シャネルズが、かのブランド名と同じとか一悶着あって、ラッツ&スターに改名したのですが、
ラッツ=RATS・・のスペルを反対にして・・STAR=スターとひっかけて命名されたのはご存じのとおりです。
あわせて、ラッツ&スターなんですね。ネズミと星?となりますが、ゴロの勝負ですね。
鈴木氏は、これを経て日本でも代表的なソウルフル・JPOPシンガーとなり大成しましたが、
例の田代氏は、ヴァラエティの主みたいな頂点までのぼりつめ、志村けん氏ともタッグを組み
順風満帆の果てに、あの事件をおこして・・・塀の中です。
人間分からないものです。
こんなに強力な面子りが固めた、本作品がスター・ダスト(星屑)になったとは・・・
大瀧氏の手がけた仕事では、こんな事件は、これ以前以後皆無のはずです。
0009 石川セリ  楽園 日本フォノグラム 28PL−99  1985



前項のアナログ・LP円熟期の作品です。
中にはイラスト集兼歌詞カードが封入されていて、これが実に豪華でアルバム全体のイメージをアップしています。
レーベル模様も、同じデザインで統一されてまさに完璧です。
当然、CDも併売されていて3500円の値段が紹介されています。
CDという画期的メディアの登場で、当然そっちの方へ力が入っていて良いようですが、
このレコードの凝りようは何といったらいいのでしょう。
アナログからデジタルへの抵抗みたいに感じます。
さて、セリさんですが、彼女もこの時期は完熟の時代ではなかったでしょうか。
一番、記憶に残っているのは80年前後のヒット曲「ムーンライト・サーファー」ですが、ムーンライト・・・のリフレインがとても印象的な
良い曲でしたね。この頃は、まだ陽水氏とはご一緒でなかったのでしょうかねェ。
完成度の高いアルバムでした。

ところで、この頃レコードやCDの裏側に暗号のような下記の符号を見たことはありませんか?



□に入っている数字です。後の二つは、おそらく発売月日だと簡単に推測できますが問題は、その前のアルファベットです。
こんなものを不思議がるのも可笑しい・・と言われそうですが、マニアにとって付帯するものは何でも気にかかるものです。
JASRACにでも訊けば答えてくれそうすが、案外・・業界の暗号でお教えするのは・・・などと言われそうな気がしました。
当時、知人のマニアの方が、やはり気になったらしく、ある日「謎が解けた!」と駆けつけてくれました。
その方の説によると・・・
アルファベットは NIHON RECORD (日本レコード)の一文字づつで、発売年を意味する。
1984年を最初に、Nは84年・・Iは85年・・という訳である。・・というものでした。
なるほど、実際CDやレコードを手にとって調べてみると書いてあるアルファベットも全て同じで
時系列で作品を辿っていくと完璧に符合しました。
これで納得!なんだか落ち着きました。
・・・これも数年も経ってか・・・消えてしまったようです。

0010 河合奈保子  サマー・デリカシー 日本コロムビア AF−7285  1984/6



アイドルの人気が出てからの生き方ほど難しいものはありません。
柳の下・・で、コケテ忘れ去られていくもの。
時代をとらえ、柳の下を見事にヒットさせ、次のステップへ行くもの。
路線を変え、役者やらVシネマやそちらの方向へ生きがいを求めるもの・・・さまざまなものです。
そんな中で奈保子ちゃんほど、見事に歌手路線を貫き・・そして普通のご結婚で芸能界とサヨナラ・・・
といった方も珍しい限りです。
CMに好んで出た訳でもなく、まして映画までは手をのばさず、このボディにしてみればその手合いの写真集も
乱発するわけでもなく・・・歌ひとすじでした。後半は自作自演に挑戦していました。
同期の柏原芳恵ちゃんは、ハロー・グッバイ(・・喫茶店)を一発当ててからは、80年中盤以降はその豊満なボディを売りに
生き残りをかけ、清純派からサヨナラしました。
それでは画像で見てみましょう。

こちら奈保子ちゃんです。なにかしら気品めいたものを感じます。



こちら芳恵ちゃんです。





ここまでくると、・・表現のしようがないです。



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