りりィ(Lily、1952年2月17日 - )は福岡県福岡市天神町(現・中央区天神)出身のシンガーソングライター・女優です。 本名は鎌田小恵子。アルファーエージェンシー所属。 一番有名なのは、1974年のシングル「私は泣いています」=97万枚を越える大ヒットでしょう。 あの、独特のシャガレ声が耳にこびりつくような感じで、 一回聴いたら忘れませんね。ベース・ギターを抱えて歌っていました。 「私は泣いています」 リリィ作詞・作曲 木田高介編曲 これは、あえて通産6枚目のアルバムです。 東芝EMI時代にはバックバンドとして「バイ・バイ・セッション・バンド」を従えていました。 上の写真がそうです。面子は、主なメンバーには木田高介、土屋昌巳などが在籍していました。 当時の評価は、東京在住のミュージシャンに最も人気の高いセッションバンドはサディスティック・ミカ・バンドと バイ・バイ・セッション・バンドだ、とまで評価されたバンドでした。 また、多くのミュージシャンが入れ替わり立ち替わり参加していたようです。 土屋昌巳氏といえば、こののち「一風堂」を結成し、この曲でブレイクしましたね。 「一風堂」は1978年に結成し、1984年まで活動しました。 中性的イメージで、当時のYMOの教授と雰囲気が似ています。 発売年月日:82/07/21 1997年10月8日にはSHAZNA=がカヴァーしてリバイバル・大ヒットさせました。 ヴォーカリストIZAMのカルチャー・クラブのボーイ・ジョージに影響を受けた華麗なルックス でしたが・・・・・左は懐かしの8センチCDSです。 本サイトは芸能スキャンダル専門ではないのですが、 右は、IZAM氏の整形のビフォー&アフターです。 TVで観た時から、出来すぎの顔立ちと思っていましたが、 ここまでイジッテいるとは初めて知りました。 よーく見ると、鼻立ちに面影が残っていませんか。 それにしても、これではご本人もどれが自分か分からないでしょうね。 男にして、こうですから・・・コワイ世の中です。 >木田 高介氏は(きだ たかすけ、1949年1月8日 - 1980年5月18日) >東京芸術大学打楽器科に入学。 >在学中に、ジャックスに参加。ジャックス解散後は、編曲家となり、「出発の歌」(上条恒彦)、「神田川」(かぐや姫)、 >「私は泣いています」(りりぃ)「結婚するって本当ですか」(ダ・カーポ)など数々のヒット曲を手掛ける。 >1975年から1980年の間ザ・ナターシャー・セブンに参加。その後、ソロ活動を始めた矢先、交通事故で死去。 ・・・才能豊かな方だっただけに、惜しむ声を後年、南こうせつ氏の TVドキュメンタリーで観たことがありました。 ザ・ナターシャー・セブンはフォークから更に、アメリカン・ミュージックを 追求・・・ブルーグラスまで及んでいました。 ブルーグラスとは・・・ カントリーに、5弦バンジョー、ドブロ(リゾネーター・ギター)、ウッドベースなどの楽器が主に使われるのが 特徴となっています。蛇足ながら、筆者は学生時代に、このタイプのバンドに 強制的?に誘われてウッドベースを担当していたので良く覚えているのです。
さて、この バイ・バイ・セッション・バンドと対峙する、 サディスティック・ミカ・バンドです。 サディスティック・ミカ・バンドのバンド名は諸説があるようですが、 やはり、これからでしょう。 ジョン・レノン率いる「プラスティック・オノ・バンド」のモジリだと思います。 初期には、エリック・クラプトン(ギター)、クラウス・フォアマン(ベース)が参加していました。 クラウス・フォアマン=Klaus Voormann, 1942年4月29日−(ベース)はビートルズの「リボルバー」のジャケット・イラストを 書いたことでも有名です。筆者の時代は・・ヴーアマン・・と表記していました。 さて、サディスティック・ミカ・バンドは、1972年にシングル「サイクリングブギ」でデビューしました。 1973年にファーストアルバム『サディスティック・ミカ・バンド』を発表。 このアルバムは発売当初は数千枚しか売れませんでしたが、 イギリス、特にロンドンで評判となり逆輸入という形で日本でも評価されるようになったようです。 ファーストアルバムを聴いたイギリスの音楽プロデューサー、 クリス・トーマス(当時ビートルズやピンク・フロイドを手掛けたことで有名になっていた)からプロデュースの話があり ●セカンドアルバム『黒船』を発表します。。このレコーディングには実に450時間が費やされたそうです。 これは、リアル・タイムで発売と同時に、レコード店へ直行しました。 あまりの出来の良さで、興奮するやら泣きが入るやらで大感動のアルバムでした。 この作品は、日本70年代ロックの金字塔といっても 過言ではないでしょう!以前ご紹介した、●パンタの「マラッカ」と双璧をなす位置づけで 筆者はとらえています。 とくに、クリス・トーマスのプロデュースのセンスが光って、全編、非の打ちようがありません。 トータル・アルバムとして捉えるべきでしょう。 加藤和彦氏の才能もさることながら、高中正義氏のギターが泣きまくります。 全体の音質も、英国録音のせいか、洋楽を聴いているような錯覚をおこしてしまいます。 また、楽器それぞれの音録りも素晴らしいものがあります。 日本70年代ロックの金字塔という話題が出たので、もう一枚これを! 近田春夫&ハルヲフォン ●「電撃的東京」 1978年6月21日に発売。 1.ついておいで(ザ・シャープホークス) 2.恋の弱味(郷ひろみ) 3.東京物語(森進一) 4.きりきり舞い(山本リンダ) 5.真夜中のエンジェル・ベイビー(平山三紀) 6.ラストショー(JJS) 7.でさのよツイスト(スリーファンキーズ) 8.情熱の砂漠(ザ・ピーナッツ) 9.気になるお前(沢田研二) 10.ブルドック(フォーリーブス) 11.人間狩り(ピーター) 12.恋のT.P.O. 13.ロキシーの夜 14.闇にジャックナイフ 曲目は上記のとおりです。ご覧のように日本の歌謡曲のカヴァーです。 が、ロックと歌謡曲の電撃的な遭遇がここにあります。 アレンジが、もろロック・テイストで原曲を知っていればいるほど、 その愉しさが分かるという仕立てになっています。 とにかく、カッコイイ!こんなアルバムは他にありません。 30年前にして、このセンス!まったく今聴いても違和感はありません。 まったく色褪せしない、これが名盤たる所以でしょう。 また、脱線してしまいました。 サディスティック・ミカ・バンドですが、初期はあの角田ひろ氏も参加していました。 彼がまもなく脱退・・・そして後日のYMOの高橋幸宏氏が加入して鉄壁の布陣となったわけです。 それから、細胞分裂してサディスティックスとなっていくのです。 角田ひろ氏といえば、日本のバラードの傑作=「メリー・ジェーン」ですね。 >1971年には歌手として「メリー・ジェーン」をロングヒットさせ、そのソウルフルな歌声から一躍、脚光を浴びる。 >1972年には、結成当初のサディスティック・ミカ・バンドに参加(短期間で脱退) >1973年にはキャプテンヒロとスペースバンドを結成。その後も、清水健太郎に提供し、 >大ヒットした「失恋レストラン」や南沙織に提供した「街角のラブソング」など、 >作曲家としても活動し、さまざまな歌手に楽曲提供も行なっている。 ・・・研ナオコさんの「風をくらって」も彼の作品でした。 ちなみに、今の表記は=つのだ☆ひろ・・となっています。
◎お知らせ◎ 2009/6/17より下記にてブログを開始し致しました レコード屋開業の顛末やエピソードを面白可笑しく綴っています 本サイト同様に立ち寄っていただけたら幸いです
>スカ、ロックステディ、レゲエの発祥地、ジャマイカは主に英語が使われ、 >いわゆるラテン諸語圏ではないが、音楽においてはラテン音楽とみなされる事が多い。 >また、ヨーロッパのラテン諸語圏(主にポルトガル、スペイン、イタリア)を含めた音楽を指す事もある。
>日本においては、特にスペイン語圏のものに限って用いられることも多く、 >ラテン音楽専門のレコードショップなどではブラジル音楽を一切扱わない店もある。 >またブラジル音楽を愛好する人たちからも「ブラジル音楽はラテンではない」という意見もある。 ・・・・・とありますが、ますます難しくなってきます。 ま、固いお話は、これくらいにしておいて前に進みましょう。 ラテンというと、こんなイメージではないでしょうか? レコ・ジャケも、深い意味はないでしょうが、情熱的でちょっとエロティックなものが多いものです。
ところで、肝心の中原さんですが、・・・・ >詞も曲も自分で手掛け、脳天気な少女の感性と愁いを帯びた大人の感性が同居する独自の作風を作り上げた。 >1992年歌手活動を休止。 ・・・・・・残念ですが、このラテンと歌謡曲の融合は時代的にも画期的でしたので、 もう少し追及して欲しかったですね。惜しい才能でした。 時代的に振りかえってみれば、ワールド・ミュージックというジャンルは当時は無くても、 定着しようとする動きも直ぐ間近な時期です。 レゲエも、レガエと表記していた時代です。 ニューヨーク・サルサも、もう目の前の時代でした。 雑誌「ニュー・ミュージック・マガジン」の当時の編集長=中村とうよう氏が さかんに、次の時代の音楽像を力説している時代でした。 前後しますが、日本から現れたオルケスタ・デ・ラ・ルスも間もなく出現することとなります。 90年にデビューしたデラルスはサルサの原点に帰ったようなストレートで 元気なサウンドで一躍トップスターとなりました。 さて、中原さんの音楽を聴いて、このバンドを忘れるわけにはいきません。 サンタナです。以前、サンタナおじさんには登場していただきましたが、 本格的には、本稿が初めてです。 誰でも、代表作といえば、この「天の守護神」 をあげるでしょう。
学生時代に買った記憶がありますが、 文句ナシ!非の打ちようがないほどの、完成度です。駄曲いっさいナシ! 全編流れるようなロック・テイスト溢れるトータル・アルバムとなっています。 「君に捧げるサンバ」などは、もう泣きの大洪水でした。 「哀愁のヨーロッパ」は、いかにも日本人好みの旋律で、 演歌とか歌謡曲の世界にも通じそうな楽曲です。 右の「ロータスの伝説」は、当時も現在もド肝をぬく、16面豪華ジャケットでした。 先般、日本のソニー陣が見事、紙ジャケ化に成功して話題になりました。 デザインは横尾忠則氏の作品です。内容は日本でのライヴ盤です。 アナログ当時は、欲しいアイテムでしたが、値段が高くて とうとう手が出ませんでした。 この度のCD化に際して、初めて購入した、個人的にはいわくつきの作品です。 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● サンタナは初期の三枚が最高と思っています。 迷いもなく、ストレートなロック魂が泣き叫びます。 中でも、この三作目が一番の押しです! 意外と思われるでしょうが、 「天の守護神」が完成度の極みとすると、この「サンタナV」はロックのたぎる情熱の極みでしょう! なんといっても、特徴は当時17歳のニール・ショーンの参加が挙げられます。 この参加がサンタナに新たな息吹を与えて、さらにパワー・アップ! ツイン・リードギターとなって、吠え雄たけびを上げます。 左右から、唸るリード・ギターにシビレテしまいます。 楽曲も前作にも増して、緻密さ、ダイナミズムが加えられて、 これこそラテン・ロックの極致でしょう。 ニール・ショーンといえば、みなさん御存じの80年代に大ブレイクする=「ジャーニー」の リーダーです。産業ロックと揶揄されたりしますが、文句なく一時代を築きました。 が、しかしブレイクする70年代は、サンタナを脱退した、グレッグ・ローリー(あのブラック・マジック・ウーマンの リード・ヴォーカルの人です)と組んだグループだったのです。 個人的には、この頃の「ジャーニー」が大好きです。 決して、派手ではないのですが、いぶし銀の味があります。 媚を売るようなロックではなく、自分たちのやりたいロックを具現化したようです。 これです。 ヴォーカルでは弱いといえば、それまでですが、若者らしいハードでストレートなロックを目指していたと思われます。 売れることを意識していない、といえば嘘になりますが 何か新しいものを模索している姿勢が見られて頼もしい感じがします。 アナログだと、100均の常連となっている作品ですが、決してあなどれません。 67ロックマンとしては、隠れ燻し盤として位置づけたいと思います。 まことに、失礼ながら、80年代の「ジャーニー」は、皆様良くご存じということで この稿では割愛させていただきます。ご容赦ください。 スティーヴ・ペリー(Vo)はとても実力のある方でしたね。 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● さて、本題のラテン・ミュージックに戻りましょう。 現代にフィード・バックしてきました。 この女性をご存じですか? メキシコの人気アーティスト=タリアの2002年と2006年のアルバムです。 2002年の作品ではThe Mexicanを取り上げています。 このThe Mexicanという曲は元々1970年代のイギリスのバンドBabe Ruthの曲なのです。 これは、かなり前の「音楽編」で取り上げていますのでご参照ください。 The Mexicanという曲は、リーダーのアラン・シャロックが英国人による想像上の メキシコ人感を曲にしたものです。無国籍ロックを展開していた彼ららしい名曲です。 名バンドの「クリーム」のジャック・ブルース作の「想像されたウエスタンのテーマ」と 同傾向の楽曲です。 この70年代の曲を、30年もの時間を越えて、本物のメキシカンの タリアがカヴァーしているのです。 これには、ビックリしてしまいました。 全世界にブリティッシュ・ロック・フリークがいるんですね。 よほど、この世界に詳しくないと、ここまでは到達出来ないと思います。 プロデュース力というところでしょうか。