突然、なんだ!これは?とお思いになったと思います。大変失礼いたしました。ちょっと、一休みのつもりでお願いします。
CDSが現在の12センチになってから、どれだけ経つであろうか?
CDが出始めた頃、CDSは上記のような形をした「8センチ」で登場した。今は12センチが当たり前でアルバムと同サイズである。
メディアの変化というものは面白いものである。
「8センチ」などは、もう存在しない。それに写真のように、その形をもとに、どれだけデザイン化できるか、さまざまな変遷を
辿ってきている。「8センチ」は何年、もったのであろうか?
定かではないが丁度バブル期にかけて定着して、それ以来10年くらいだろうか?
CDハード=CDプレイヤーの普及し始めた時期に、
本体には8センチ対応の円形の「輪の溝」がなくてCDS専用に売られていたくらいだ。
標準機は8センチ不対応なのである。これではCDSが聴けぬではないか。
輸入盤なぞは、オマケとして8センチ用のワッカが付録?で添付されていたくらいである。
こんな状況が示すとおり、CDSについては大分、開発が遅れた感は否めない。
CD化が一番進んだのは、当時日本であった・・と聞いたことがある。欧米先進諸国は、物を大事にする習慣が浸透している。
故に、アナログレコードもCD登場後も大事にされ生き続けた。
おそらく、開発メーカーの、フィリップスとソニーのCDハードのプロモ策略と考えざるを得ない。
あくまでも、12センチがメインで8センチまでは、手が回らなかったのが事実ではなかろうか?
故に、オマケとして8センチ用のワッカが付録・・の現象が生じてしまったのであろう。
思いだしたが、米のライノの創業期に同社が往年のヒット曲を8センチのCDSで発売したことがあって、そのパッケージにも
8センチ用のワッカが付録でついていた。アナログ=EPシングルなら、CDでもミニCD化を・・という発想であろう。
米のライノの8センチのCDSはジャケットが真四角の紙製のものであった。
また、写真の形のCDSは日本独自で開発・進化してきた、きわめて珍しい亜種というべきではないだろうか。
ちなみに、皆様は既知のことと思いますが、12センチCD開発のコンセプトは、
ベートーヴェンの第九がすべて納まるように・・であった。
すべて、ここからスタートしたのである。
本題に戻って、その形跡を残しておきたいと思い、写真を掲載した次第である。
アーティストは、まったくこだわらなかったのだが、飯島直子さんのは、開けてみえる中ジャケのアイディアが秀逸で
CDSを入れると? 見えず 取り出すと全体が見える仕組みである。
作詞は、秋元康・・オニャンコの仕掛け人、作曲は鈴木キサブロー・・「涙をふいて」などの佳曲が多い。
かとうれいこさんは表裏が逆なような気がしますが、往年の石川セリの「MOONLIGHT
SURFER」のカヴァーである。
作詞・作曲は、中村治雄こと、あの頭脳警察のパンタである。
この前後、井上陽水と結婚し、そして20年余・・・・・離婚し、また歌手活動を再開したようである。
また、どちらもキャンギャル出身であったのも理由とさせていただく。
飯島直子は1989年、カネボウ水着キャンペーンガールに選ばれる。1990年には1990年にはキリンビールにも選出された。
昭和の終わりから平成5年(1993年)ごろまで多くの写真集が発売され、日本を代表するグラビアアイドルだった。
1997年、ロックバンド・TUBEの前田亘輝と結婚するも01年に離婚。
現在は、NHK朝の連ドラに、お母さん役で主演し頑張っている。
かとうれいこは、1989年に(第16代)'90クラリオンガールに選出され、'91年度アサヒビールイメージガールにも選ばれた。
堀江しのぶのあとを引き継ぎ、またグラビアアイドルという分野を確立した存在ともいえる。
2001年結婚し、事実上の引退状態となっている。 2003年、長女を出産。
★思いだしたが、米のライノの創業期に同社が往年のヒット曲を8インチのCDSで発売したことがあって、そのパッケージにも・・・
が、見つかりましたので掲載します。
1988年発売のものでした。左がパッケージのイメージで、右の黒いのが=ワッカ=Disc ADAPTOR です。
あの中に、CDSをはめ込む仕組みです。懐かしいものに再会しました。
TMまで付記されていますので、全世界的に出回ったんでしょう。
曲はフォー・シーズンズの「悲しきラグド−ル」、タートルズの「ハッピー・トゥゲザー」それぞれ4曲入りで2CDSが
カップリングとなっています。
※我ながら、よくぞシュリンク=覆っているセロパッケージも外さず、20年も保存していたものと・・・
感心するやら、驚くやら・・・。
CDSの変遷の終わりでございます。