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0011 林 寛子  素敵な16才 キャニオン C−3064  1976/1  HIROKO キャニオン C−9063  1976/5

たしか、デビュー時は股下○○cm・・・のという、キャチ・フレーズだったと思ったが記憶違いかな?
本格的なデビューは『変身忍者 嵐』(へんしんにんじゃ あらし)というTV番組であった。
『変身忍者 嵐』(へんしんにんじゃ あらし)は1972年(昭和47年)4月7日から1973年(昭和48年)2月23日まで
毎日放送・NET系で毎週金曜日19:00 - 19:30に全47話が放送された、東映製作の特撮テレビ番組。



代表曲は1982年に小泉今日子=キョンキョンが歌ってヒットした[素敵なラブリーボーイ]です。
オリジナルは1975年に発表された
林寛子なのです。



一方、キョンキョンの方はジャケットが二種類存在することで有名です。
こちらが最初のジャケットです。あまり地味でヒットしなかったようです。そのせいかジャケット変更されました。



こちら、その第二弾ジャケットです。当時は大胆なポ−ズでギヨッ!としたものでした。
思い切って?、拡大してみます。



当時は、シングル盤ジャケットも人気アイドルは二つ折になっていて、このような迫力あるものでした。
キョンキョンのデビュー曲は「私の16才」でしたが、林寛子の上記のアルバム・タイトルは
「素敵な16才」ですから、75年から82年という時間を考慮しても、意識的に林寛子の路線をパクッテいたと考えざるを得ません。
ちなみに、キョンキョンのデビュー曲の「私の16才」もカバー曲だったのです。

オリジナル「森まどか:ねえ ねえ ねえ」


これが、こうアレンジされました。



なんだか、キョンキョンの特集みたいになってきたので、この話題はこのへんまでにしておきましょう。

さて、林寛子がレコード・デビューした、1975年頃はロックの歴史全体からみても極めて成熟期にあたります。
ゼップ、パープル・・等と黄金時代でしたが、こうしてアイドルの世界をみてみると、また面白いものです。
アルバム「HIROKO」のB面では、洋楽のオールディズのカバーなんか歌っています。
1974年 - 「ほほえみ」で歌手デビューした、この頃の世相を見てみると・・・。

7月8日 - 4日前の琴櫻に続き第52代横綱・北の富士も引退を表明、年寄「井筒」を襲名(3年後、当時の九重親方の死去に伴い九重を襲名)。
この結果名古屋場所は輪島が“一人横綱”を務めることとなる。
7月24日 - 北の湖が史上最年少(21歳2か月)で第55代横綱昇進。
8月8日 - ウォーターゲート事件でニクソン米大統領辞任。フォード副大統領が大統領に昇格。
8月15日 - 津川雅彦長女誘拐事件(翌8月16日に誘拐犯が逮捕され、人質は保護された)。
8月19日 - 第56回全国高校野球選手権大会は千葉・銚子商業高校が大会初優勝。
8月29日 - 『ベルサイユのばら』が宝塚大劇場で初演を迎える(大ヒットになり、以後宝塚歌劇団の代表作の一つに)。
8月30日 - 三菱重工業本社で時限爆弾爆発(三菱重工爆破事件)。
8月末 - 阿蘇山で1965年以来9年ぶりの噴火。
9月1日 - 原子力船むつが放射線もれ事故
9月13日 - 日本赤軍がオランダ・ハーグにあるフランス大使館を占拠(ハーグ事件)。
10月1日 - 東海道新幹線開業10周年。
10月6日 - テレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』第1作がよみうりテレビ・日本テレビ系で放映開始。

・・・以上のような時代でした。
固いお話はこれくらいにして、林寛子の活躍をみていきましょう。





 





・・・それ以降、さまざまの変遷を経て、・・・画像は敢えて省略します。
2001年 - 第19回参議院議員通常選挙に埼玉選挙区から自由連合公認で出馬、落選。
2003年6月24日 - 離婚。
2007年 - カラオケサロン「ラブリー寛寛」(ラブリーかんかん)オープン。・・と現在に至っています。

1959年10月16日 生まれですから、今年は2009年・・・ということは・・ここいら辺で、お開きということで失礼させて頂きます。

0012 松原みき  レディ・バウンス キャニオン 28A0417  1985/6 



真夜中のドア・・・のあの方です。
これが、キャニオン時代の最後のアルバムです。
封入されたポスターが、光の加減でぼやけてしまってスミマセン。
そして、合掌です・・・・・。それは・・・
2001年にがんを告知され、すべての音楽活動を休止し闘病生活を送っていたが、2004年10月7日 子宮頸がんのため44歳で死去。
という悲しい事実でした。
歌声がとても斬新な響きで、女性シンガーの新しい形をつくった方ではないでしょうか。
バックには、林哲司氏が付いていました。当時の日本の最先端のサウンドでしょう。
写真は、カシオペアの向谷実氏がプロデユースを担当して、ヒュージョンぽい出来になってます。

こんな作品もありました。今もファンが多く、その声を受けて往年のアルバムが今年の1月21日に復刻されます。






残念ながら、写真のアルバムはCD化は無しのようです。
0013 伊藤さやか  マイ・ゼネレーション TDKコア 発売キングレコード T28A-1048  1985 


この子?は、女の子ながらも当時からロック魂邁進路線で売り出したのは記憶にあった。
最初は、ビクターからのデビューだったが、本作はレーベル移籍の第一弾です。
つっぱり路線とは趣きを異にして本格的なロックへのアプローチだったような気がする。
例えば、三原順子みたいな不良(死語かナ?)っぽいイメージ・・・



三原順子「セクシーナイト」
作詞.亜蘭知子/作曲.長戸大幸/編曲.長戸大幸
1980年9月21日
キング/KO7S-35

蛇足ながら、これのジャケ違いも存在するので掲載してみる。



・・・ではなく、本道路線を狙った記憶である。
このように、魏志倭人伝もどきのヒイズルトコロノ・・ヒーローがキャチコピーでした。
そして、本作のタイトルが、なんとあのTHE WHOと同じのマイ・ゼネレーションなのです。
これだけでも、正当派ロックを志向していたことが分かります。



リアルタイムでは、聴く余裕もなかったので、あらためて針を落とすと・・・
ハード・ロックひとすじ45年おじさんには、どうしてもロックには聴こえませんでした。
インパクトのあるリフとか、思わず泣きの入いる間奏のカッコイイ・・リード・ギターんのソロとかは
まったく感知できず、なんだ?こりゃ?・・となってしまいました。
もし、当時彼女にしびれた方がおられたら、そのシビレのあれこれを教えてください。
シングル編でも書きましたが、筆者の感性の劣化でしょうか?
ベストCDも発売されたようです。



ちなみに、シングルのディスコ・グラフィはは次のとおりです。

「ナ・ン・パ・・・して」
「ヨロシク◇されたい」
「BROKEN GENERATION」
「恋はFeel So Lightで」
「POSITIVE SMILE」
「Sayaka Early BEST」
「My Generation」
「陽のあたる場所」
最後に、その後は・・・
1986年、声帯などに変調が見つかり、シングル「ハッピネス!!」のリリースを最後に活動の無期休止。
2002年6月、女優・タレントとして芸能活動を再開、現在に至る。
・・・となって、現在も活躍中のようです。
0014 ザ・ピーナッツ  デラックス キングレコード   196? 




久しぶりに、60年代に戻ってきました。
じっくり見てみると双子といっても、違いますねェ・・・。
おじさんとしては、シャボン玉ホリディが直ぐ思い出されます。
エンディングのハナ肇氏とのシーンも印象的でした。
人気・実力とも最高にのぼりつめたころ、
・・・1975年2月18日に当時東京都千代田区有楽町の渡辺プロダクションにて記者会見を開き、
現役を引退することを表明した。

姉の伊藤エミは1975年6月4日に同じ所属事務所であった元・ザ・タイガースの沢田研二と結婚し
ハナ肇宅の隣に居を構えていた。その後1男を出産する。しかし1987年1月に離婚した。・・・

・・・そうそう、モスラの小美人も忘れがたいものです。

 

ちなみに、このアルバムはこんな内容になってます。





A面は彼女らのヒット曲、B面は海外のスタンンダード・ナンバーという構成になっています。

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