|
||||||
|
|
0011 林 寛子 素敵な16才 キャニオン C−3064 1976/1 HIROKO キャニオン C−9063 1976/5 |
たしか、デビュー時は股下○○cm・・・のという、キャチ・フレーズだったと思ったが記憶違いかな?
さて、林寛子がレコード・デビューした、1975年頃はロックの歴史全体からみても極めて成熟期にあたります。 |
0012 松原みき レディ・バウンス キャニオン 28A0417 1985/6 |
真夜中のドア・・・のあの方です。 これが、キャニオン時代の最後のアルバムです。 封入されたポスターが、光の加減でぼやけてしまってスミマセン。 そして、合掌です・・・・・。それは・・・ 2001年にがんを告知され、すべての音楽活動を休止し闘病生活を送っていたが、2004年10月7日 子宮頸がんのため44歳で死去。 という悲しい事実でした。 歌声がとても斬新な響きで、女性シンガーの新しい形をつくった方ではないでしょうか。 バックには、林哲司氏が付いていました。当時の日本の最先端のサウンドでしょう。 写真は、カシオペアの向谷実氏がプロデユースを担当して、ヒュージョンぽい出来になってます。 こんな作品もありました。今もファンが多く、その声を受けて往年のアルバムが今年の1月21日に復刻されます。 残念ながら、写真のアルバムはCD化は無しのようです。 |
0013 伊藤さやか マイ・ゼネレーション TDKコア 発売キングレコード T28A-1048 1985 |
この子?は、女の子ながらも当時からロック魂邁進路線で売り出したのは記憶にあった。 最初は、ビクターからのデビューだったが、本作はレーベル移籍の第一弾です。 つっぱり路線とは趣きを異にして本格的なロックへのアプローチだったような気がする。 例えば、三原順子みたいな不良(死語かナ?)っぽいイメージ・・・ 三原順子「セクシーナイト」 作詞.亜蘭知子/作曲.長戸大幸/編曲.長戸大幸 1980年9月21日 キング/KO7S-35 蛇足ながら、これのジャケ違いも存在するので掲載してみる。 ・・・ではなく、本道路線を狙った記憶である。 このように、魏志倭人伝もどきのヒイズルトコロノ・・ヒーローがキャチコピーでした。 そして、本作のタイトルが、なんとあのTHE WHOと同じのマイ・ゼネレーションなのです。 これだけでも、正当派ロックを志向していたことが分かります。 リアルタイムでは、聴く余裕もなかったので、あらためて針を落とすと・・・ ハード・ロックひとすじ45年おじさんには、どうしてもロックには聴こえませんでした。 インパクトのあるリフとか、思わず泣きの入いる間奏のカッコイイ・・リード・ギターんのソロとかは まったく感知できず、なんだ?こりゃ?・・となってしまいました。 もし、当時彼女にしびれた方がおられたら、そのシビレのあれこれを教えてください。 シングル編でも書きましたが、筆者の感性の劣化でしょうか? ベストCDも発売されたようです。 ちなみに、シングルのディスコ・グラフィはは次のとおりです。 「ナ・ン・パ・・・して」 「ヨロシク◇されたい」 「BROKEN GENERATION」 「恋はFeel So Lightで」 「POSITIVE SMILE」 「Sayaka Early BEST」 「My Generation」 「陽のあたる場所」 最後に、その後は・・・ 1986年、声帯などに変調が見つかり、シングル「ハッピネス!!」のリリースを最後に活動の無期休止。 2002年6月、女優・タレントとして芸能活動を再開、現在に至る。 ・・・となって、現在も活躍中のようです。 |
0014 ザ・ピーナッツ デラックス キングレコード 196? |
久しぶりに、60年代に戻ってきました。 じっくり見てみると双子といっても、違いますねェ・・・。 おじさんとしては、シャボン玉ホリディが直ぐ思い出されます。 エンディングのハナ肇氏とのシーンも印象的でした。 人気・実力とも最高にのぼりつめたころ、 ・・・1975年2月18日に当時東京都千代田区有楽町の渡辺プロダクションにて記者会見を開き、 現役を引退することを表明した。 姉の伊藤エミは1975年6月4日に同じ所属事務所であった元・ザ・タイガースの沢田研二と結婚し ハナ肇宅の隣に居を構えていた。その後1男を出産する。しかし1987年1月に離婚した。・・・ ・・・そうそう、モスラの小美人も忘れがたいものです。 ちなみに、このアルバムはこんな内容になってます。 A面は彼女らのヒット曲、B面は海外のスタンンダード・ナンバーという構成になっています。 |
|
||||||
|
|