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0020 アン・ルイス PINK PUSSY CAT (粉紅色的子猫)  ビクター SJX−20142  1979





なにかとド派手で話題をまいた、アンちゃんの黄金期のアルバムの登場です。
時期的には、これからがヒット曲のオンパレードの大ブレイク期に入ることになります。

LINDA(1980.8.5) 作詞・作曲:竹内まりや/編曲:ブラッド・ショット、谷口洋一、山下達郎
ラ・セゾン(1982.6.5) 作詞:三浦百恵/作曲:沢田研二/編曲:伊藤銀次
アン・ルイスのシングル最大のヒット曲。
LUV-YA(1983.2.21) 作詞:吉田美奈子/作曲:NOBODY/編曲:伊藤銀次
薔薇の奇蹟(1983.5.1)
I Love Youより愛してる(1983.10.21) 作詞:三浦百恵/作曲:NOBODY
六本木心中(1984.10.5) 作詞:湯川れい子/作曲:NOBODY/編曲:伊藤銀次
有線、カラオケで根強く支持され、ロングヒットとなった。
ピンクダイヤモンド(1985.3.5) 作詞:湯川れい子/作曲:NOBODY
あゝ無情(1986.4.21) 作詞:湯川れい子/作曲:NOBODY/編曲:佐藤準

このように作曲陣からアレンジャーまで超豪華な布陣でヒットするのも納得ですね。
とくにラ・セゾンは作詞は三浦百恵=山口百恵で、結婚後引退で芸能活動は殆どしていなかったので
話題になりました。またマスコミのゲスの勘繰り按配で、セゾンは仏語=英語でシーズンとなり=発情期の意味もあり、
それをさしているでは?と騒がれました。あまり関係は無かったようですが・・・。
個人的にお互いの親密な関係にあって友情からのものだったようです。
作曲はジュリー、アレンジは伊藤銀次と驚くような面子です。



さて、このアルバムは山下達郎のプロデュースによるものです。
意外?とも言える組み合わせでビックリしました。



普段は質素なスタイルらしいですが、いざ活動をするときはド派手になるアンちゃんです。
このアルバムも、ピンクのカラー・ヴィニールでアルバム・タイトルと連動しています。
ジャケットも、よーく見るとかなりきわどいものです。現在なら何のことはないでしょうが
当時としては相当刺激的な感じではなかったでしょうか。
スケスケ越しに見え隠れしています。
ちなみにタイトルの
PINK PUSSY CATPUSSY CATは 米の隠語で女性器を指します。
ピンクの・・・というかなり意味深な表現です。



このアルバムの内容は次のようである。





この面子なら、サウンドも聴こえてこようというものでしょう。
なにやら、ナイアガラ・コレクターの食指が動くようなメンバーが勢ぞろい、大集合的感じです。
A1、B6は、米の女性ハード・ロック・グループの「ハート」の作品ですね。

さて、お色気ネタはこの辺にして音楽面からアプローチしていきましょう。
なんと言っても、この人の築き上げた偉業は歌謡曲とロックを融合させたことでしょう。
歌謡ロックというジャンルを確立させたのは彼女であろう。
それも、かなりロックよりのタイトなバックの洋楽ロック寸前的な出来栄えの曲が多い。
なおかつ、メロディ・ラインも日本人ライクなものが多く、ヒットにつながった要因でしょう。
このブレイクの後年、ベストアルバムWOMANISMが再評価を得てまた市民権を得た格好になりました。
女性版歌謡ロックの定着とでも言える現象でしょうか。

 

WOMANISM I(1991)ベストアルバム
WOMANISM II(1991)ベストアルバム
WOMANISM III(1991)ベストアルバム

2008/05/11には、こんなアン・ルイス トリヒ゛ュート・アルハ゛ムが発表されました。
上のオリジナルと比べてみると、遊び心が溢れてなかなかです。



そしてこのアルバム発表の翌年
1980年、ロック歌手の桑名正博と結婚する。
1981年、長男・美勇士を出産。この頃、育児に専念するため音楽活動を暫く休業する。
1984年、桑名正博と離婚・「六本木心中」がロングヒット。歌番組での過激なパフォーマンスが話題となる。
・・・という経緯があるが、長男の命名を、MUSICを日本語にした「美勇士」(ミュージ)・と名づけて、
呼称の君をつけて・・合体させればミュージクン・・・となるのも話題になったものである。

 

 

この1983年のアルバムは、ロックサイドからみても名盤中の名盤でしょう。
バックはchar(チャー)率いる、ピンク・クラウドがガッチリと脇を固め英米に引けを取らぬ出来となっています。
太鼓判アルバムです。

デビューの頃はこんなに可愛い女の子でした。





しかし「パニック症候群」であることを公表、母国アメリカに在住していたが
2005年11月23日にセルフカバーアルバム「REBIRTH」を発売と同時に音楽活動を再開させた。
尚、病気のため、今後のライブ活動は行わない方針らしい。



最近の彼女・・・美勇士くんとのツーショットです。
桑名氏にそっくりに成長しましたね。

0021 吉田拓郎 落陽二番勝負! よしだたくろうLIVE’73 CBSソニー 1973   SOLL−59−OD  
                            落陽 
フォーライフ  1979  FLLー5038



たくろうは二回目の登場になります。
たくろうのコンサートの白眉はいうまでもなく「落陽」でしょう。
そこで、「Live'73」と「TAKURO TOUR 1979 Vol.2 落陽
」を聴き比べ、もとい見比べてみましょう。
1973年というと、
フォーライフ設立は1977年であるからソニー在籍の晩年期と言えるだろう。
下は’73の内ジャケである。たくろうを色んな角度から捉えたスナップで占められて
フォーク・アイドル化したような雰囲気が漂ってくる。




セットリスト(ライヴ収録曲)は、それぞれ次のようだが当然「落陽」は要所要所に組み込まれている。
写真のように、手書き風歌詞カードとなっている。
’73で、それ以前の曲をLIVE用にアレンジして・・’73とタイトルを付記しているのも聴く愉しみの一つであろう。




1979年に入ると、狼のブルースなんかが顔を出してくる。
たくろうの評価は、エレック時代・・ソニー時代・・そしてフォーライフの70年時代、
そして80年以降の時代・・・・・ずっと時を経て現在と、個人にとってさまざま分かれるようである。
筆者も個人的には、ひとくくりにすると70年代の彼が一番好きである。
ストレートで気負いも感じられず、たくろうのそのまんまを奔放に作品化した時代ではなかろうか。
・・・それから20年もの時空を越えて、90年代に入ってからキンキ・キッズと出会いTVにも出演した・・
あの頃の、もろ=おじさんっぽい彼の、なんか吹っ切れた枯淡の境地にでも達したかのような持ち味も
筆者と同時代のせいか、爽やかで好感がもてた。・・同時に昔と比べあまりの違いにビックリしたものである。


 

 



歌詞カードに刷り込まれた会場の様子である。
実にスケールの大きいライヴだったと伺い知れる。
記憶が正しかったなら、この79年前後は「王様のハイキング・ツアー」を敢行していた時期で、
その一貫のツアーかと推察される。



当時、同タイトルのレーザー・ディスク(もう古物・・コブツ扱いですね)を買って飽きもせず繰り返し観たものである。

 

左=レーザー・ディスク・・・・・右=DVD



色んな音楽サイトがあるが、レーベル面までUPしているところは殆どお目にかからないので
本サイトの目玉?=特色として継続していきたいと思う。






さて、ライヴを盛りたてる演奏スタッフを見てみよう。彼らによって大いにツアーの質が左右されるからである。
そして会場は何処だったかも肝心な要素である。
PA、観客層のリアクションもツアー成功の大きな要因である。

'73では会場が、中野サンプラザでリード・ギターが高中正義氏が務めている。
これが大正解!たくろうサウンドにアグレッシヴさを増し、うねりとハードネスをもたらし
お見事!ハード・ロック・フィリーングあふれる展開となった。
おのずと落陽も、めくるめく感動と男気あふれる歌詞の内容と相まって最高の出来である。
おもわず、涙・・涙・・涙・・の拍手喝采である。





さて、79年になると瀬尾一三グループがバックを担当するようになっている。
松任谷正隆氏は、よほど気に入れられたのか、今回も参加。
場所は篠島、武道館、静岡の各会場となっている。
ギター陣も若手にシフト変更し、バンド全体で、たくろうサウンドを構築しようという事であろう。
しかし’73の高中氏に負けじとばかりに、ツイン・リードで泣きに泣きこれでもかの
むせび泣き大会の展開となった。前述の王様の・・面子であろうか?
たくろう史上、これほどのロックぽいライヴはないのではないか。
落陽はむしろ、落ち着きを取り戻したような演奏となっている。





さて、そうすればどちらに軍配が上がるのか?となるのだが・・・
’73の若さで疾走する、たくろうも大感激!
’79年の円熟味あふれる拓郎も納得の出来!
・・・ということで・・・引き分けということに致しましょう!

閑話休題・・若い頃に戻ってみましょう。





70年代のあれこれが・・・懐かしい限りです。



これは代表曲みたいなBIGヒットでした。アルバム・ヴァージョンとシングル・ヴァージョンが違ってました。





現在に戻ってきました。みなさまのご記憶に新しい・・つま恋2006です。
これで、また新たな拓郎像を見せてくれましたね。

先の項でも書きましたが、このコンサートでの中島みゆき嬢とのデュエット「永遠の嘘をついてくれ」が
印象的でした。彼女の作品でしたが、お二人のデュエットは絶品でした。



★おまけ付録として、たくろうが他のアーティストに提供した作品を見てみましょう。★



猫はこの一発屋だと思っていましたが、「猫ベスト」なんてレコードを見かけたことがありました。





 

●列挙すると主だったものは、次のようです。

あゝ青春(トランザム)
雪(猫)
たどりついたらいつも雨ふり(モップス)
いつか街で会ったなら(中村雅俊)
僕は何をやってもだめな男です(南こうせつとかぐや姫)
狼なんか怖くない(石野真子)
やさしい悪魔(キャンディーズ)
風になりたい(川村ゆうこ)
襟裳岬(えりもみさき)(森進一)
メランコリー(梓みちよ)
歌ってよ夕陽の歌を(森山良子)
僕 笑っちゃいます(風見慎吾)
風の街(山田パンダ)
失恋魔術師(太田裕美)
東京メルヘン(木之内みどり)
我が良き友よ(かまやつひろし)

最後に、みなさん大声でうたいましょうか!?
さぁ!いきましょう!せぃお!・・・

♪ しぼったばかりの〜・・・
おとっとと・・・ここでは著作権に・・・

・・・・それでは、また次回に。

0022 加川良 アウト・オブ・マインド  キング・レコード  SKM−7015  1974 





たくろうが出たので、お友達シリーズ?で加川氏の登場です。
なんと言っても、彼の本意orいかんにかかわらず一躍有名にしたのは、・・・


よしだたくろうの代表作『元気です。』に「加川良の手紙」(作詞・加川良、作曲・吉田拓郎)という曲が収録された
ことでしょう。出だしはもう皆さん1、2、3で歌えますよね?

♪拝啓 僕はとても残念でした あの日 君がホワイトジーンでなかったことが
 スカートもいいけれど ホワイトジーンなら もっとかっこよかったと思います♪・・・

・・・という皮肉めいたエピソードからでしょう。
日本のフォークのルーツをたどって行くと、なんといっても、その始祖はあの岡林信康です。





 

当時、筆者は学生運動盛んな時代に遭遇し、自分の意思とはまったく別に世の中全体、日本全国に
・・安保反対!!の渦に巻き込まれていた頃です。70年安保の時代です。
学生運動に参加しなければ学生でない!てな風潮がキャンパスを席巻して、アジビラとかバリケードが
自然の風景になってなっていました。地方の駅弁大学でさえ・・です。
そんな中、学生集会があれば、エンディングに岡林信康の「友よ」を大合唱・・という時代でした。
この
「友よ」は覚えるともなく、体にしみ込んでしまって岡林氏の作品とは随分あとに分かったようなものです。
キャンプには「今日の日はさようなら」が定番の時代です。今もアリですか?
岡林信康のバイオグラフィをみていくと・・・

>1968年、山谷に住む日雇い労働者を題材とした「山谷ブルース」でビクターよりレコードデビュー。
>翌年までに、「友よ」「手紙」「チューリップのアップリケ」
名作・問題作を発表。
>その内容から、多くの曲が放送禁止となる。
>一世を風靡し、「フォークの神様」と言われたが、
>周囲が押しつけてくるイメージと本人の志向のギャップ
>などにより、翌年5月に一時蒸発。・・・

となっているが、70年代後半になると普通のフオーク・ロックぽい路線になり60年代のカリスマ性などは
消失していまったかのような存在となっていた。
日本のボブ・ディランには、なれなかったようである。
また、・・・
>岡林と同棲生活を送った吉田日出子は、表現されているものと実生活に著しい乖離があり、
>偽善者と酷評。その後、岡林信康とは訣別している。
>また、日雇労働者の悲哀を歌った『山谷ブルース』は、岡林が山谷に長期滞在して作ったといわれるが、
>実際には一週間程度しか滞在していなかった。・・・と事実も伝えられている。
ともあれ、彼の黄金期とも言える時期の作品がリマスターされ、発売された。



さて、話を本題に戻して加川良である。

たくろうの歌は、加川良が拓郎に宛てた手紙ではなく、加川氏が女性に宛てた手紙という説もあるようです。
それに、たくろうが曲を付けたというものです。

前述の岡林が第一線から退いてから、その二番手として大いに期待・嘱望されたのが
たくろうと加川だったのである。

たくろうは自ら求めるフォークorロックの世界を飽くことなく追及しどしどし進化していったのに対し、
加川は反するかのように内省的な世界を追求し、ヒットとかは無縁の自らの世界を追求していった。
良し悪しは別にして、こうして二人の人生は以後、展開していったのである。
これが彼の出世作です。

 

若い頃の彼です。

 

さて、アウト・オブ・マインドは彼の代表作として日本フォーク史に燦然と輝く名盤です。

 

ジャケットのイラストです。いい雰囲気を醸しだしていますね。

 

このアルバムには、上のような方たちが参加しています。

リード・ギターに鈴木茂氏が参加して、凡百のフォーク・アルバムとは一線を画す出来栄えと
なっていますが、最近アクシデントが起こってしまいました。



ご存じの大麻所持事件です。報道によると・・・

>2009年2月17日、大麻取締法違反(所持)の現行犯で東京湾岸警察署に逮捕される。
>鈴木は2月17日午後、江東区の路上で職務質問を受けた際に乾燥大麻計27gを所持していることがわかり現行犯逮捕。
>「自分が吸うために持っていた」と容疑を認めているという。

 

さらに、彼の作品=CDもすべて市場から回収されているようです。
なにもそこまでは・・過去の作品は過去ですから・・と思いますが、大麻所持に対する見せしめでしょうか。
TVなどでインタビューに答える彼は、とても温和で控え目な方にみえますが、ショックな事件でした。

アルバムに戻って、ジャケ裏の録音スタッフのスナップです。音が聴こえてきそうです。


レーベルのベル・ウッドも、多くのフォークの名作を送り出したところです。
この作品と同時期に発売されたものは次のとおりです。(帯の裏から)
1500とあるのは、このシリーズは廉価盤として1500円で発売されたものだからです。
名盤だらけですが、メーカーの常備在庫とまではなり得なかったからです。
換言すれば、名盤=売れ筋とは限らないという事です。
そういう背景を踏まえて、廃盤になった頃に、こうしてまとめ買いを狙ってかのように登場してくるのです。
何度、この発売パターンを見たことでしょうか。

 

いかがですか?このラインナップ!凄いです。思わず欲しいアイテムばかりです。
 最後に加川氏の最近のスナップを見てみましょう。

 

・・・お元気そうで、ご活躍のようです。

0023 ヘレン笹野 ロマンテイック・サマー  東芝  WTP−90071  1981




みなさんは彼女をご存じでしたか?
いつものエサ箱(お店のレコード・陳列ケースのことを、レコ中?はこう呼びます)を漁っていたら
美ジャケが飛びこんできたので、これは!?・・という単純なor不純な動機で買った一枚です。
すわッ!アン・ルイスの柳の下のドジョウか?とも一瞬思いましたが、ルックスがアイドルっぽいじゃ?・・
などと憶測をあれこれ巡らしながらの帰り道でした。
活動履歴などを調べてみたら、これがきわめて短くて驚いてしまいました。

【ヘレン笹野】へれん・ささの(女優)
誕生日:1962(昭和37)年09月07日
出身地:アメリカ ミシシッピー州     
本 名:ヘレン・ジーン・ミスリンスキー

アルバムは僅か2枚のみ。掲載のものと、下の一枚です。



シングルは下記のとおりです。

 

1981年03月05日:1st Single「キュン!と初恋」
1981年06月00日:2nd Single「Do you love me?」
1981年10月21日:3rd Single「初恋同志」
1982年00月00日:4th Single「心細いな」

・・・これで終わりです。

なんと短命な芸能生活だったのか・・と。
なんかひっかかるので調べてみたのですが引退の原因とか仔細は不明です。
80年初頭を走り抜けて、あっという間の消息不明・・という、実に潔い撤退?具合でした。
それでも、2003年にはアルバムが見事CD化されていて一部マニアのあいだでは
かなり支持されていた様子がうかがえます。それも紙ジャケでの発売でしたから尚更です。
ちなみに、アルバム内容はこのようです。



おりしも、鈴木キサブロー氏が活躍されています。
時代が作家を育てるのか、作家が時代を創るのか、いつの時代でも命題ですが、
山口百恵であれば、宇崎竜童と阿木耀子のコンビ、桜田淳子であれば作曲陣は多様ですが、
まず森田公一と阿久悠・・というような具合です。

 

筆者は時代が彼らを要求し、その結果ピタッと符号すれば時代の波が動くと
考えていますが如何なものでしょうか?
時代の要求とは、その時点での世の中のあらゆる森羅万象を指します。
それに乗っかれば、ブーム誕生という図式です。もっとも個人の才能の有無も大いに関係しますが・・。

鈴木キサブロー氏と言えば、三好鉄生 涙をふいて(1982年)が想い出されます。
30歳のデビューということでも、有名になった方です。俗称=一発屋ともいいますが・・。



実は、このプロデユースはジェフ・バクスターという米国人が担当しています。
洋楽好きの方なら、ハハァ・・と思いだすかも知れませんが、米国の人気バンド=ドゥービー・ブラザースに在籍し
一時代を築き上げた人です。これが彼の参加したバンドの代表アルバムです。(1975)
大袈裟に言うならば、アメリカン・ロックを代表する一枚でもありまあす。





音楽マニア・ライクに言うならば、この曲の間奏のギターが素晴らしく、いったい誰が弾いているんだろう?と
思って調べてみたことから、彼だ!と辿り着きました。とても日本人ではないな?・・・と気になったのです。
CD化の時代になって、CDでこの「涙をふいて」を聴いてみたいなと思って・・出てきたギターは
残念ながら別人に差し替えられていました。可笑しいな・・とCDのレーベルを、オリジナルかどうかまで
確認したのですが彼ではありませんでした。著作権によるものかor勘違いかは昔のことなので定かではありませんが・・。

大分、脱線してしまいました。ヘレンのアルバムの内容ですがオールディズも混えての洋楽路線ぽい仕上がりと
なっています。声質とかは個人のお好みによるでしょう。

しかし、角度によって若干雰囲気が違うようですが、美人ですね。これ系ジャケ買いのお手本みたいなレコードです。







お馴染みのレーベル面です。EAST WORLD とは東芝が、洋楽レーベル風に立ちあげた日本のレーベルです。
ドュー・ユー・ラブ・ミーは洋楽の大ヒット曲のタイトルのパクリです。




ここで大発見!なんとアニメ=うる星やつらの主題歌を歌っていました。
(浅学でスミマセン・・)
これで一躍知名度を上げたのではないでしょうか?

筆者の漫画体験史からいくと、最近のものに位置づけられますが多くのヘレンのファンはここから
スタートしたかもしれません。これで納得です!


 

当時の活躍ぶりを見ていきましょう・・・・・。

   

  

小林泉美さんは、1980年代に高中正義氏と「虹伝説」ツアーでキーボードを担当し時代の花形だった方ですね。
その後、ソロになって作品も発表されました。

  
さて、これが紙ジャケットCDです。レコードと比べていかがですか。
 


その後のヘレンですが・・・
>91年にうる星やつら感謝イベントがあり、その記録LDに当時ですでに米国テキサス州
>オースチン在住とナレーションが入っていた。・・・なんて記事もありました。
0024 所ジョージ 成りさがり  キャニオン  CA25A−0026C  1979





あれっ?この人、歌手(これも死語か?)だったの?・・・という声が聴こえてきそうな感じですが、
50歳代の方なら彼の70年代のSSW時代を覚えているのではないでしょうか。
という筆者もリアルタイムで、同時代を生きてきたのですが、まことに失礼ながら所さん迄は
手が伸びませんでした。・・・と言いながら「寿司屋」なんてシングルは、たまたま聴く機会があって
・・・なんだ?これは?・・・音楽というものではなく漫芸的な駄洒落ソングでは?・・と
いまだ、こういったジャンルが確立されてない時代だったので違和感を覚えたものでした。
事実、現在の大成された所さんとは別人のような存在で、メジャ−には程遠い面白芸人的位置づけだったろう。
歌とも漫才とも取れぬ芸風で暗中模索の時代ではなかったろうか。
表記のタイトルは、お気づきの通り矢沢栄吉の著作本のパロディである。
おまけにジャケット・デザインまでパロディ精神溢れて実に面白い。

ちょうど、この頃この「成り上がり」が出版されて、それまで神格化されつつあった矢沢氏の半生が赤裸々に
綴られてベスト・セラーorエポック・メイキングな事件となっていたのである。
蛇足ながら、オリジナル版元の確か?小学館が、矢沢のヒットで気を良くして
第二弾として
当時「雨の泣いている」で一世風靡した、
あの柳ジョージ氏の自叙伝を「敗者復活戦」というタイトルで出版したのである。
残念ながら、これはダジャレではありませんが・・・柳の・・下のドジョウとはならなかったようです。

まず、そのパロディぶりを拝見・・ということで、矢沢のジャケットと比べてみることにしよう。
ベースは左の「キッス・ミー・プリーズ」でしょう。蝶ネクタイが決め手ですね。

 

薔薇の華やかさは、右の「ゴールド・ラッシュ」のイメージの発展系ではないでしょうか。

これが問題の本です。版元は角川に変わってしまいましたが、どういうことだったのでしょうか。
著作権だけは、矢沢氏らしく自分に帰属させていたんでしょうね。

  

上京時代、キャロル結成から解散までの顛末まで、そしてソロ黄金時代までと赤裸々に書かれています。
当時、思わず一気に読みふけったものでした。
最近になって、また矢沢氏に風が吹いてきて再評価されて復刻もされ、漫画化までされました。
モルツを呑んだ成果でしょうか?

  

本題は矢沢氏ではないので深くは触れませんが、このキャロル時代のジョニー・大倉氏との
曲作りのコンビネーションは最高でした。
メロは大倉、詞は矢沢という按配の名曲だらけで、今でも思わず口ずさんでしまいそうです。
「♪君探し求めソー メニー タイムス・・♪」なんてのは大袈裟に言うと初期のビートルズの
レノン=マッカートニーに喩えられたものです。
しかし、解散を期に、この二人は犬猿の仲となって互いを中傷し続ける人生となってしまいました。無念!

さて本論の所さんです。ジャケットをアップして見てみましょう。帯のコピーに思わず笑ってしまいます。

 

 

 

オモテと裏ジャケのギャップに拍手です。いうなれば裏ジャケが現在の彼に近いのでしょうか?
内容は上記のようです。タイトルから、もう曲調が連想されます。楽しいですねェ・・・。
この芸風or曲風で70年代後半を戦ったというわけです。

それまでの作品をまとめて追ってみましょう。




 

 

左はもちろん、かのビートルズのアビー・ロードのパロディですね。




おっと、今度はダウン・タウン・BBの宇崎さんのパロじゃないですか。



 

・・・ダウン・タウン・BBとくれば、このレコードが忘れられません。
いつもの如く脱線してしまいますが・・・。


 


今で言うならば、GSへのトリビュート・アルバムという事になるでしょう。
GSのヒット曲のオン・パレードで、それもDTBBの独自アレンジで泣けましたねェ・・・。
ロック・ベースのGSなんて、これが発表された時はびっくりしました。
曲目は次のとおりです。2008/1/23 にめでたくCD化されました。
1. フリ フリ
2. 好きさ 好きさ 好きさ
3. 君に会いたい
4. 長い髪の少女
5. ノー・ノー・ボーイ
6. おかあさん
7. 想い出の渚
8. 青い瞳
9. シーサイド・バウンド
10. 神様お願い
11. スワンの涙
12. 小さなスナック
13. 恋はもうたくさん
14. 白いサンゴ礁
15. ブルー・シャトー
16. Yesterday’s Yesterday

「スワンの涙」
なんて、もう目からウロコものです。これぞ、名盤!太鼓判!

・・・さて、最近の所さんです。

 

意外なこと・・知ってる方は当たり前らしい・・ですが、所さんと、あのアルフィの坂崎幸之助氏とは親交が厚く
所さんのアルバムには、かならずクレジットされています。
アルフィーの売れない時代に自らの曲を自室で坂崎と二人でアレンジ・レコーディングしたり、
オールナイトニッポンにレギュラーコーナーを持たせたり

所がアルフィー入りを懇願したりしている・・くらいの間柄のようである。
芸能界も奥が深いものと痛感しました。

話を戻して・・・。ダウン・タウン・BB
宇崎竜童氏といえば阿木耀子のご夫婦コンビでの黄金時代もこの時期と重なります。

さて、ここで一気に飛びます!
この時期には多方面から、この夫妻にオファーがあり、時代の寵児となっていました。
山口百恵は当然の事ながら、あの演歌の藤圭子のも楽曲の提供をしていたのです。
なんで、いきなり藤圭子なの?と深く追求は・・・お手柔らかに・・。
筆者もこの70年代後半までは、まったく活躍ぶりも知りませんでした。
ヒット曲というものではないようですが、盤的にも珍しいのでUPします。

 

 

この三枚がそうです。詳細データは下記のとおりです。ご存じでしたか?
だいぶお歳を召されてきました。

面影平野
(RVS-1107)
オリコン最高78位 A:面影平野 阿木燿子 宇崎竜童 馬飼野俊一 1977/11
B:圭子のドンデン節 阿木燿子 宇崎竜童 馬飼野俊一
銀座流れ唄
(RVS-1127) A:銀座流れ唄 阿木燿子 宇崎竜童 木村雅朗 1978/ 4
B:猫と女 阿木燿子 宇崎竜童 木村雅朗
酔い酔い酒場
(RVS-1148) A:酔い酔い酒場 阿木燿子 宇崎竜童 小山恭弘 1978/10
B:女文字 阿木燿子 宇崎竜童 小山恭弘


おそらく皆さんも、こんな時期が彼女のイメージではないでしょうか。

 

 

当時を想いだします・・・。可愛いルックスとドスの効いた声のアンバランスが特徴的でした。

・・・そして30年くらいの時間が経過して、こんな話題に花咲きました。



 

・・・当たり前ですが、似てますねェ。以外とこんな写真で比較というのも見ないので掲載しました。
所さんからヒカルさんまで、なんと支離滅裂なことで失礼しました。


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